ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とイゾルデの愛の死
R.Wagner: "Tristan and Isolde "Prelude and Isolde's Love Death
ワーグナーは麻薬だ、とよく言われます。実際、「ワグネリアン」という言葉が一般化しているのが物語っているように、ワーグナーの音楽の持つ濃厚さ、甘美さの魅力に取りつかれ、すっかり没入してしまっている人も非常に多く見受けられます。この「トリスタンとイゾルデ」は、そんなワーグナーの陶酔的な舞台作品の中でも最も濃厚にして革新的、いわば最も強い麻薬です。
1859年作曲、1865年に初演されたこの楽劇は、中世ドイツの詩人シュトラスブルクによる同名の叙事詩をもとに、「愛」のみにテーマを絞り込んだ台本をワーグナー自ら起こし、さらに官能的かつ甘美な音楽が組み合わされました。時は中世、アイルランドの王女イゾルデは、かつての婚約者をコンウォール(イングランド)の騎士トリスタンに殺され、仇を討とうとしますが、実際にトリスタンと対峙したとたん、逆に彼に一目惚れしていまいます。その後イゾルデはコンウォールの国王・マルケの花嫁として嫁ぐことが決まり、迎えの船に乗ります。その船を操縦していたのは、偶然にもマルケ王の甥であるトリスタン。船が目的地に着く直前、イゾルデはトリスタンに毒薬を勧めて飲ませ、さらに自身も同じものを口にし無理心中を試みます。ところが飲んだのは毒薬のつもりが、実は惚れ薬。そのまま2人は熱烈な恋に陥ってしまいます。イゾルデとの結婚後、自分の甥と相思相愛になっていることを知ったマルケ王はもちろん激怒し、従臣にトリスタンを殺すよう命じます。紆余曲折の後、マルケ王も2人の仲を許すことにしたのですが…時すでに遅く、瀕死の状態のトリスタンはイゾルデの腕の中でやがて息絶え、イゾルデもトリスタンを抱擁しつつ死んでいった、という内容です。
この悲恋の物語のテーマは、奇妙な出会いと不倫。また甥?叔母さんという近親関係の愛でもあり、従来のオペラのように浮気とか横恋慕とかいう軽い言葉では片付かないようなタブーな題材を、ここで敢えて取り上げているのです。最もワーグナーがこのような不自然なテーマにこだわった背景には自分自身、実は当時のパトロンであったヴェーゼンドンク夫人との不倫関係に陥っていたということもあったようです。
曲の前半部分にあたる前奏曲は、ワーグナーがその用法を確立した「ライトモティーフ」(登場人物や感情に、それぞれ決まったテーマ音楽を付けること)や、終止音を避けて延々と続く「無限旋律」あるいは調性や形式の崩壊など、斬新なアイディアが凝縮されており、究極の愛の苦しみや喜びを最大限に表現することに成功しています。前奏曲に続いて、バスクラリネットの静かなソロで始まる「イゾルデの愛の死」は、終幕のクライマックス、イゾルデがトリスタンの後を追って死ぬ場面であり、本来はここでイゾルデ役のソプラノ歌手により「嘆きぶし」が歌われるのですが、今回は歌は省略し管弦楽のみの演奏となっています。
(2001.11.25)