チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」
P.I.Tchaikovsky:Sym.No.6 in b-minor Op.74"Pathetique"
「私は現在、新しい曲の仕事に没頭している。もはやこの筆を止めることはできない。きっとこれは、自分の最高傑作になるであろう」ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840?1893)は、1893年3月、弟モデストへ宛てた手紙にこう書きました。さぞかし祝典的な大作と思いきや…出来上がったのは、この暗く悲哀に満ちた交響曲でした。
この曲には「悲愴」という標題があります。これは初演後に弟モデストの発案でつけられたタイトルですが、これは単なる悲しさではなく、何か内面から沸き出る寂寥感というニュアンスを含む、何とも意味深長なネーミングです。また本来第2楽章あたりに来るべき遅い曲がフィナーレ(終曲)になっており、しかも最後は失速して消えるように終わります。さらに興味深いことは、1楽章の前半はイントロイトゥス、ffで荒れ狂う後半部分はディエス・イレ(怒りの日)、2楽章はオフェルトリウム、3楽章はサンクトゥス、最終楽章はリベラ・メ…そう、「死者のためのミサ曲(レクイエム)」の構成と合致することに気が付きましたか?
もっともこれだけの理由でチャイコフスキーは自らのレクイエムとしてこの最後の交響曲を書いた(そして自殺を図った?)と結論付けるのは早急すぎます。例えば年老いて孤独になったチャイコフスキーが人生を振り返り、感慨に耽っているとも受け取れるし、当時崩壊寸前であったロシア帝国の圧政下にいた民衆の不安と恐怖を彼が代弁しているとも解釈できます。さて、どれが正しい「悲愴」の聴き方なのでしょう?この謎はもはや解明不可能です。ただ一つ言えることは、この交響曲が当時としてはきわめて斬新なコンセプトの下に書かれた作品であり、それゆえにチャイコフスキーの最高傑作である、ということです。
初演は1893年10月28日(旧暦10月16日)にペテルブルグで行われました。チャイコフスキーはこの作品が非常に気に入っており、自身がタクトを取ったのですが、暗く静かに終わるという、あまりに地味で悲観的な曲想が楽員にも聴衆にも不評でした。
第1楽章 Adagio(ゆっくり)〜Allegro non troppo(快速に、速すぎず)
冒頭、コントラバスの弾く空虚な和音に続いて、ファゴットが重苦しいテーマを奏します。テンポはやや速まり、ヴィオラとチェロによるテーマが不安定に展開し、オーケストラ全体へと波及していきます。主部のテーマは弦楽器による、ため息のような下降音型で始まります。昔を懐かしく思い出すようなフルートの明るい旋律が一瞬現れ、弦楽器を経てクラリネットとバスクラリネット(本来の指定はファゴットですが…)の孤独なソロが消えると、間髪を入れずに激しい展開部へと突入します。今度はオーケストラ全体で冒頭のテーマが回帰し、強奏のままクライマックスを迎えますが、今度は少しずつ冷静さを取り戻してきます。そして、全てを悟りきったような管楽器のコラールで静かに終わります。
第2楽章 Allegro con grazia(快速に、優雅に)
チャイコフスキーは前作・第5番に続き、交響曲の中にワルツを挿入しました。しかしこのワルツ、どうもうまく踊れません。それもそのはず、注意して聴いてみると「ずん・ちゃっ・ちゃ」(3拍子)ではなく「ずん・ちゃ、ずん・ちゃっ・ちゃ」(2+3=5拍子)。ロシア特有の複合拍子です。中間部では短調に転じ、死の恐怖にも似た憂鬱な空気が立ち込めます。やがて徐々に気を取り直して元通りのワルツに戻りますがやっぱり5拍子、踊れないもどかしさは変わりません。鐘の音が遠くから響き(管楽器による下降音型のコラール)、舞踏会は終わって皆は三々五々帰り始め、最後は一人寂しくため息だけが残ります。
第3楽章 Allegro molto vivace(快速に、非常に活き活きと)
12/8拍子のスケルツォ(舞曲)と4/4拍子の行進曲が、絶えず交錯する楽章です。ここで前半楽章の憂鬱を一気に吹き飛ばし、生命を謳歌します。街中の喧騒のような弦楽器の3連符に乗って、テーマの断片がオーケストラのあちこちから聞こえてきます。やがて旋律の全容が2本のクラリネットで示され、パワーを増しながらオーケストラ全体に広がり、ついには力強い大行進曲へと発展します。全4楽章の中で唯一、勝利を予感させる輝かしい楽章ですが、実はラスト10小節間で音はどんどん下降していき、結局フルート・ピッコロやトランペットといった華やかな響きを掌る高音楽器群は沈黙してしまうのです。
第4楽章 Adagio lamentoso(ゆっくり、悲しみをもって)
そして遂に、ここで審判は下されました。悲哀感は、もはやどうしようもない「絶望感」へと姿を変えます。 弦楽器の咽ぶような下降音型に始まり(作曲者はここで、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンで旋律を1音ずつ交互に弾かせることにより途切れ途切れに聞こえさせる、という細工を施しています)、不整脈のようなリズムがホルンから聞こえ始めると、絶望感はついに頂点に達し、激しい号泣となります。タムタム(銅鑼)がこの世との別れを告げると、演奏している楽器がどんどん減り始め、最後はチェロとコントラバスだけが残り、静かに、重苦しく全曲が締めくくられます。
チャイコフスキーは、この初演のわずか一週間後に亡くなります。死因については、当初は生水を飲んだためコレラに感染したと伝えられていましたが、エイズ説や自殺説もあり、定かなところはわかりません。そして死の数日後に行われたモスクワ初演は、期しくもチャイコフスキーの追悼演奏となってしまいました。とりわけ遅いテンポで終楽章が演奏されている間中、客席のあちこちからすすり泣きや嗚咽が聞こえ、最後の低弦が鳴り止んだあとも、誰一人拍手せず、余韻が遠のいたあとも静寂が続きました。そしてこの時、誰もが疑いなくこの曲の真価を認めたのです。
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さて、私達Nフィルは、これまでも色々な曲を演奏してきました。しかし、短調で静かに消えるように終わる曲は、今回のこの「悲愴」が初めてです。いつもならばすぐさま盛大な拍手を、と言いたいところですが…さて、本日の演奏が終わった後の余韻を、このホールの中でどれだけ共有できるでしょうか?
(2000.11.12)