ショスタコ−ヴィチ:チェロ協奏曲第1番変ホ長調 作品107
D.Shostakovich:Concerto for Violoncello and Orchestra No.1 in E-flat major, Op.107
協奏曲とは、文字通りオーケストラとソリスト(独奏者)が「協奏」することで、オーケストラ単独の曲や独奏曲では得られない相乗効果を生み出すものです。そのため作曲家が協奏曲を作曲するときは、特定の独奏者を意識して筆を進めることが少なくありません。ショスタコーヴィチも例外ではなく、本日演奏するこのチェロ協奏曲第1番も、特定のチェリストのために作曲されました。
ショスタコーヴィチと同じく旧ソ連出身のチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927〜2007)。ロストロポーヴィチはモスクワ音楽院の学生時代からショスタコーヴィチを尊敬しており、やがて、いつの日かチェロ協奏曲を作曲してほしい…という思いを抱くようになります。しかしまだ20代の青年が、ソヴィエト音楽界の重鎮に直接依頼する勇気などあるはずがありませんでした。そしてある日、ロストロポーヴィチは思い切って、チェロのための新作依頼についてショスタコーヴィチの妻ニーナに打ち明けました。ニーナは依頼には直接応じず、こう言いました。
「何も言わなくても大丈夫よ。あなただったら、黙っていてもあの人はちゃんと曲を作ると思うわ」
実際、その通りでした。ショスタコーヴィチは1952年にロストロポーヴィチの独奏で初演されたプロコフィエフの『チェロと管弦楽のための交響的協奏曲』を聴いて以来、彼のチェロの艶やかな音色と豊かな表現力にぞっこん惚れ込んでおり、自身がそれまで手を出していなかったチェロ協奏曲を、この若き天才のために書き下ろそうと思い始めていたのです。
こうして1959年にチェロ協奏曲第1番が完成し、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル、もちろんムスティスラフ・ロストロポーヴィチの独奏で初演され、大成功を博しました。そしてショスタコーヴィチとともにロストロポーヴィチの名前が当時の西側諸国へも知れ渡り、ブリテン、デュティーユ、バーンスタイン、外山雄三など世界中の作曲家がロストロポーヴィチのために続々と協奏曲を書いて献呈するようになります。そしてその後両者の親交も深まり、やがてロストロポーヴィチはチェリストであると同時に指揮者としても、ショスタコーヴィチを始めとした旧ソ連の諸作品を全世界に向けて紹介することに特に心を砕きました。
オーケストラの編成は小さく、金管楽器はホルン1本のみ、打楽器もティンパニのみ。しかしながらこのホルンとティンパニは、ソリストと互角に大活躍します。また曲構成は協奏曲の通例である3つの楽章にカデンツァ(独奏チェロ)が挟まった計4楽章構成で、2楽章から4楽章までは続けて演奏されます。
第1楽章 アレグレット 変ホ長調
いきなり独奏チェロが第1主題を提示し、終始ほぼ独奏チェロが雄弁に語り続けます。ティンパニの一撃をきっかけにショスタコーヴィチのイニシャル(DSCH)を展開した第2主題(C-H-Es-D-C)へと切り替わり、木管楽器と独奏チェロが交互にテーマと対旋律を奏します。やがてホルンが颯爽と登場し、独奏チェロとの長いキャッチボールが始まります。再現部の第1主題はホルンが主導し、最後は第2主題に続いて独奏ホルンとチェロが同じ音を奏して終わります。
第2楽章 モデラート イ短調
エレジー(悲歌)風の緩徐楽章です。弦楽合奏による序奏に続き、ホルンの導きで独奏チェロがうら寂しげな主題を切々と歌います。中間部はイ長調に転じ、木管楽器による手回しオルガンのような温かい響きも聞こえますが、やがてイ短調の序奏がピッコロを伴う最強奏で再現し、前半の主題は独奏チェロのフラジオ奏法(オクターブ上の倍音のみを響かせる特殊奏法)とチェレスタで交互に演奏されます。そして静かに奏されるティンパニのトレモロを伴い、次の楽章へ繋がります。
第3楽章 カデンツァ
この楽章では終始オーケストラは沈黙し、独奏チェロのみによって、前半楽章に出てきたテーマを基にしたカデンツァが展開されます。超絶技巧を駆使したモノローグはやがて徐々に緊迫感を増し、テンポも上がって切れ目なく第4楽章へ突入します。
第4楽章 アレグロ・コン・モート ト短調
冒頭でオーケストラの弦楽器全員による合いの手が入り、木管楽器が躍動的なロンド主題を示し、オーケストラや独奏チェロの旋律を、時折ティンパニのソロが引き締めます。途中で拍子が3/8になり、唐突にワルツが始まります。やがて第1楽章のモチーフが断片的に見え始め、やがて第1主題全体が回帰します。最後は冒頭のモチーフを高らかに奏し、変ホ長調の和音で全曲を締めくくります。
(2016.1.31)