ショスタコ−ヴィチ:交響曲第9番変ホ長調

D.Shostakovich:Symphony No.9 in E-flat major



 
  今回のプログラムは全く趣の異なる「交響曲第9番」の2本立てです。まず1曲目、ドミトリ・ショスタコーヴィチの9番…と言っても、誰それ?と思われる方が多いことでしょう。でも実は、巷では彼の作品がごく当たり前に流れ、皆何気なく口ずさんでいることにお気づきでしょうか?例えば何年か前の某アイスクリームのCMには交響曲第4番が、またもっと有名なところではシュワルツネッガーの登場する某栄養ドリンクの
CMで「ちちんぷいぷい…」と歌われているのは交響曲第7番『レニングラード』第1楽章の主題。そう、マーラー同様、ショスタコーヴィチもしばしばCMに引用されるクラシックの作曲家の1人なのです。
 ドミトリ・ショスタコーヴィチは1906年旧ソヴィエトのペテルブルクに生まれ、幼少より音楽を学び、モーツァルトの再来を思わせるような早熟ぶりでした。そしてモーツァルト同様たいへんな多作家で、15曲の交響曲を筆頭にオペラ・バレエ・室内楽等あらゆるジャンルに渡る傑作を残しています。しかしショスタコーヴィチがモーツァルトと大きく異なる点は、当時のソヴィエトの政治思想を意識して作曲しなければならない、という「足かせ」が常にあったことです。そのため、彼の作品はどんなに音楽的に素晴らしくても「社会主義の発展に寄与する」ものでなければ容赦無く批判の対象になったのです(それにしても具体的な言葉ならともかく、単なる「音」をどう取り締まったんでしょうね?)。そして彼は音楽という手段で、黙々と反論をし続けます。そのせいか初期の作品を除けば、彼の作風は常に「何か言いたそうな」雰囲気を持っており、また一見明朗快活な曲に見せかけておいて、その裏に隠されたメッセージで本音を吐露しているという作品もいっぱいあります。
 この曲にも、当局の目を逃れるためのカモフラージュが随所に施されています。まず交響曲第9番というベートーヴェンの『第9』を想起させる番号。そして変ホ長調という英雄的な調性は同じベートーヴェンの『エロイカ(英雄)』をほうふつとさせます。さらに5楽章構成。一見時のスターリン率いるソヴィエト当局の期待した「戦争の勝利を讃えた英雄的大交響曲」であるかのようです。曲の軽さや演奏時間の短さから結局批
判の対象になったものの、ショスタコーヴィチが暗にこの交響曲で当局を思い切り風刺しているということには、さすがに気付かなかったようです。さて、それでは以下楽章を追ってそのからくりをご説明しましょう。

*なお「メッセージ」が隠されているとはいえ、この曲は絶対音楽です。ここでは曲に対する理解を助ける意味で、筆者がこの曲に対して独自にイメージしている情景をつづりましたが、こういった具体的な説明が不必要と思われる方はどうか読み飛ばしていただければ幸に存じます。
 
 

第1楽章 アレグロ(快速に)

 まるでハイドンの時代に逆戻りしたようなかっちりした構成の楽章です。冒頭の「ド・ソ・ミ・ド」と下降する音形はまさにベートーヴェンの「第9」の1楽章冒頭なのですが、ベートーヴェンのように勇壮にはいかず、4小節後の弦楽器のトリルであっさり一蹴されてしまいます。
(以下、筆者の勝手なイメージです)
 集まってくる兵隊(フルートやオーボエなど)は、皆ちょっと調子外れなやつばかり。そして隊長(トロンボーン)が「全体、進め!」と叫び、彼の後ろに付いてきたのは勇壮な軍隊…ではなく子供(ピッコロソロ)。もとい、と冒頭からもう一度やり直しますが結果は同じ。やがて列が乱れ始め、皆好き勝手な方向に歩き出します。隊長が「おーい!」と何度叫んでも収拾がつきません。やっとのことで子供を取り押さえて兵隊たちも落ち着き、また行進を始めたら、今度は別の子供がうしろに付いてきた(ヴァイオリンソロ)。結局みんな好き勝手な方向に行ってしまい、収拾がつかないまま「ちゃんちゃん」で終わります。
 
 

第2楽章 モデラート(中庸な速さで)

 前楽章とは打って変わって物静かでメランコリックな楽章です。クラリネットの長い旋律がやがて2番奏者とのデュエットになり、そして木管楽器全体のコラールへと広がります。中間部は弦楽器を中心としたワルツ。この楽章、メトロノーム指定はかなり速いのですが、標記はモデラート(中庸な速さで)という比較的ゆっくりとしたもの。本日のマエストロはこの矛盾に着目し、敢えてメトロノームを無視してじっくり演奏します。するとどうでしょう。ワルツ転じてホラー映画音楽風となり、当局の圧力に堪え続ける民衆の叫び(弱音器をつけたホルン)が聞こえてくるではありませんか!
 
 

第3楽章 プレスト(急速に)

 軽快なスケルツォ。2楽章同様、クラリネットの技巧的な旋律で始まります。木管楽器が大活躍する曲ですが、その中間部でなぜかトランペットが、ちょっと場違い?なフラメンコ風のソロを奏します。しかし張り切って軽快なテンポで走ってきたこの楽章もやがて、まるでゼンマイの緩んだおもちゃか何かのようにどんどん失速し、切れ目なしに次の楽章へつながります。
 
 

第4楽章 ラルゴ(ゆっくり)

 トロンボーンとテューバによる威圧的なファンファーレ。そしてそれにつづくファゴットの長大かつシリアスなソロ。まさに「真打ち登場」といったところでしょうか。いよいよ壮大なフィナーレへの序奏…と思いきや、この楽章はここで終わってしまいます。
 
 

第5楽章 アレグレット(やや快速に)

 ファゴットソロは突如一変し、おどけた旋律を奏し始めます。前の楽章は完全なフェイントで、やはりハイドン的な軽妙なフィナーレでした。
(以下、再び筆者の勝手なイメージ)
 冒頭のファゴットから弦楽器に引き継がれる旋律は、時代遅れな命令を下す老指揮官と何の疑問も持たず馬鹿正直に動くソヴィエト軍隊の、ちょっと頼りない行進曲。そしてオーボエ→フルート→ピッコロの順で登場するヒステリックな旋律は、さしずめ自分は何もできないくせにキンキンした声でうるさく叱咤する鬼軍曹でしょうか。そしてその後に出てくるヴァイオリンの下降音形は、「ばかだねー」と冷めた目で観ている民衆。 徐々に近づいてくる軍隊(低弦とティンパニ)を、笑って傍観しています(クラリネット)。遠くから「進めー」という鬼軍曹の声(オーボエ。1楽章のトロンボーンと同じ音形です)が聞こえてきますが、あまり説得力はありません。軍楽隊の1人が路上の石につまずいた拍子に、行進曲のテンポが狂います。つんのめってテンポアップした行進曲に合せて兵隊は駆け足になり、統率が乱れ始めます。そして軍隊は民衆を威圧しよう と自身たっぷりで大見得を切りますが、同じくらいの音量で民衆が軍隊を威圧し返します。で、民衆のひとりがボソッと一言。
「隊長さん、ズボン…穿き忘れてない?」
確かに鬼軍曹はズボンを穿いておらず、何ともしまらない格好で仁王立ちしている自分にハタと気付きます。狼狽した鬼軍曹と恐れをなした軍隊は、尻尾を巻いて慌てて逃げて行きました。めでたし、めでたし。

 ショスタコーヴィチは1975年にこの世を去りました。そしてソヴィエト連邦も崩壊し、時代は180度変わりました。それにしても、もし彼がもっと長生きしていたら、現存している数倍は素晴らしい作品がたくさん生まれていたのでしょうね。政治や思想を意識しない、もっと自由な音楽表現で…。

(1999.1.24)

 


もとい