ショスタコ−ヴィチ:交響曲第5番ニ短調 作品47

D.Shostakovich:Symphony No.5 in d-minor, Op.47


 さて、演奏会の後半はショスタコーヴィチの交響曲の中でもとりわけ有名な「第5番」です。難曲ぞろいのショスタコーヴィチの交響曲中でも、この第5番は構造的にシンプルで比較的わかりやすいのですが、実はシンプルであるが故に、ショスタコーヴィチの交響曲全15曲の中でも最も解釈が難しい、つまりどう演奏すべきか指揮者や奏者を悩ませる曲でもあるのです。
 意欲作であった前作の交響曲第4番(1936年作曲)は、初演を目前にして演奏中止の憂き目に遭いました。理由は他でもない「プラウダ批判」--当時のソヴィエトはスターリン独裁政権の下、社会主義思想に反するものを片っ端から排除していたのですが、その対象は文章や言動に留まらず、芸術分野にまで及んでいました。その矛先はショスタコーヴィチにも向けられ、当時発表したばかりのオペラやバレエ音楽について共産党機関紙『プラウダ』にて痛烈に批判されたあげくに「反体制」のレッテルを貼られて当局の監視下に置かれ、世間からは白い目で見られるようになります。そしてショスタコーヴィチの周囲でも、知り合いが一人、また一人…。当局に連行され、もう帰ってくることはありませんでした。そんなこんなで交響曲第4番の初演も難しくなり、やむなくお蔵入りとなってしまったのです。
 もはや自由な創作活動が許されず四面楚歌となったショスタコーヴィチは悩んだ末、作曲家生命を賭けて、スターリンと当局のお気に召すような新たな交響曲を発表し、起死回生を図ることにしました。それが本日演奏する交響曲第5番です。前作の第4番が演奏時間1時間超、全3楽章、100人以上の奏者を必要とし、さらに最後も意味深長に淋しく終わるのに対し、この第5番は、演奏時間約45分、全4楽章で編成もさほど大きくなく、起承転結が明快で最後も決然と終わります。初演はプラウダ批判の翌年1937年、ロシア革命20周年記念演奏会にてエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルの演奏で行われましたが、3楽章の途中で聴衆が涙を流し始め、4楽章が終わった頃には全員がスタンディング・オベーション。まさに大成功でした。そして当局側からも「社会主義リアリズムの理想の最たる作品」と絶賛され、ショスタコーヴィチは作曲家としての面目を維持することができました。さらに「苦悩から勝利へ」という構図がベートーヴェンの交響曲第5番『運命』にも共通していることもあり、瞬く間に世界中のオーケストラに広がり、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも最も有名かつ頻繁に演奏される曲となったのです。
 ところが…ショスタコーヴィチの死後1979年に出版された1冊の本により、この曲の解釈について天と地がひっくり返るような事実が判明しました。その本はソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』。その語録の中で交響曲第5番について「勝利のフィナーレを書いたのではない。あれは強制された歓喜である」旨が記されているのです。つまり当局から「さあ喜べ、お前の仕事は喜ぶことだ!」と命令され、よろよろと立ち上がり「そうだ!そうだ!喜ぶぞ!」と本心とは裏腹に喜びだす(まあ一昔前の、会社のレクリエーションみたいなものです)。そう解釈すると、この曲のエンディングは素直に勝利を喜べない、とても悲痛な響きに聞こえてきます。
 そして今世紀に入り、もうひとひねり違った説が登場しました。遺された手紙や日記の研究が進み、当時ショスタコーヴィチは既婚者でありながら、別の女性に浮気していたことが判明したのです。結局その愛人は別の男性と結婚したのですが、同時期に作曲されたこの交響曲第5番にビゼー作曲の歌劇『カルメン』の旋律を引用し、愛人との破局と魔性の女カルメンのエピソードを重ねることで、当時の心境を反映させたものだというのです。
 このように、現在この曲についての解釈は諸説あり、どれも決定打となっていません。さて、本日の演奏はどのような解釈で、どのように響くでしょうか。そしてお聴きの皆さまは、どう受け取られるでしょうか。

1楽章 モデラート〜アレグロ・ノン・トロッポ ニ短調

 低弦と高弦の劇的なカノン(輪唱)に続き、悲痛な第1主題がヴァイオリンによって提示され、ハープをきっかけにやはりヴァイオリンに現れる伸びやかな第2主題。これがビゼーの歌劇『カルメン』のアリア(ハバネラ)でカルメンが「L’amour, l’amour…(ああ、恋よ)」と得意げに歌う旋律の抑揚と一致しています。そしてピアノが入ってテンポもアレグロ・ノン・トロッポに上がり、ホルンの低音をきっかけに激しい展開部に入ります。トランペットと打楽器が第1主題によるコンバットマーチが突如現れ、それまでの盛り上がりを打ち壊し、小競り合いの末、再現部ではオーケストラ全体により第1主題と第2主題が同時進行します。その後フルートが第2主題を「ハバネラ」の原曲により近い形で演奏し、ホルンと愛の言葉を交わします。そして夜も更け、最後はチェレスタの上昇音型で静かに、冷たく終わります。

2楽章 アレグレット イ短調

 まるで社会主義リアリズムを絵にしたような、杓子定規な3拍子を基本にしたスケルツォです。低弦の厳格なリズムに続き、小さなクラリネット(変ホ管)が金切り声にも似たソロを演奏します。そして途中何回か、ホルンが巡回する軍隊か警察のような警告を発し、民衆の行進は続きます。中間部はヴァイオリンソロやフルートソロで少しだけウィーン風のレントラー舞曲になりかけますが、バックを流れているリズムはやはり厳格な3拍子で、なかなか自由が許されません。弦楽器のピチカートで冒頭が再現し、再び警告が発せられます。コーダはオーボエがもう少しだけ自由を、と中間部のソロを再現しかけますが、すぐ警官隊に威圧されて強制終了となります。

3楽章 ラルゴ 嬰ヘ短調

 静かで重苦しい楽章です。金管楽器は登場せず、弦楽器はヴァイオリンが3部に(本日の「第3ヴァイオリン」は第1・第2ヴァイオリンの後ろの席が担当)、ヴィオラとチェロが各々2部に分かれ、終始繊細で悲痛な音楽を奏でます。そしてフルートによる物悲しい第2主題。始めは1st奏者のソロで、やがて2nd奏者が現れて絡み、そして二重奏となって消えていきます。第1主題が戻って高潮した直後、オーボエに始まり、クラリネット、フルートと受け継がれる第3主題は、ロシア正教のパヒニダ(葬儀)で歌われる聖歌に由来していると言われています。初演時からつい最近までは、この楽章は戦争で命を落した人々を追悼する楽章と思われていましたが、前述のように愛人が別の男性と結婚した年でもあり、その知らせを聞いてのショスタコーヴィチ自身の複雑な心境(悲しいようなこれで良かったかのような…)が反映している、と解釈するのが最も適当なのかも知れません。

4楽章 アレグロ・ノン・トロッポ 二短調

 不気味に忍び寄る管楽器のトリルに続き、ティンパニの先導で力強い行進曲が始まります。ここの金管楽器のユニゾンと、それに続く木管楽器の冒頭のモチーフ(ソ---ミ)は、やはりビゼーの『カルメン』のハバネラでカルメンの歌に合いの手を入れる合唱と同じ音型、しかもその合唱の歌詞が「Prends garde a toi!(気を付けな!)」。テンポは段階的にどんどん速くなり、その頂点でティンパニが和音を最強奏で叩きこみ、ブレーキをかけます。そして未来を期待させるようなホルンのソロや第1楽章を想起させる不安げな木管を経て、弦楽器がハープの平和で夢見心地なソロを導きます。そして現実に引き戻されて冒頭の主題が弱奏で回帰し、徐々に音量を増して、ついには最低音以外の弦楽器と木管楽器がA(ラ)の音を連打する中、金管楽器と重低音楽器による冒頭と同じ「気を付けな!」の音型によるファンファーレ。この連打音は「ヤーヤーヤーヤー…(ロシア語で『俺だ俺だ俺だ…』)」と叫んでいるようにも聞こえるし、「ラ」をロシア語読みして繰り返すと「リャーリャ」、つまりショスタコーヴィチのかつての愛人の名前を連呼しているようでもあります。つまりこの部分は「気を付けな!」という警告の中でよろよろと立ち上がり歩きだす自分自身であると同時に、『カルメン』のラストシーンよろしく、民衆の歓喜の中で愛人の名前を連呼して泣き叫ぶ構図にも見えます。いずれにせよ、闘争と勝利をストレートに表現した曲でないことだけは確かなようです。そして、二長調の和音が最大限の音量で鳴り響く中、「形だけは」決然と終わります。

 ショスタコーヴィチは生涯、自身の交響曲に込められた思いについて具体的な言葉で語ることはあまりなく、基本的に聴き手の受け止め方に委ねていました。特にこの第5番についてのコメントは、ほぼ皆無です。でも、ソヴィエト共産主義に反する発言ができなかったという事情はともかく、もしこの曲が前述のようにかつての愛人関係の破局を意識して作った曲なのであれば、まあそんなこと自分から喋るわけありませんよね。 

(2016.1.31)


もとい