ショスタコ−ヴィチ:交響曲第4番ハ短調 作品43

D.Shostakovich:Symphony No.4 in c-minor, Op.43


 前作の交響曲第3番『メーデー』作品20から6年後の1935年。一連のバレエ音楽やオペラなどでキャリアを積んだ29歳のショスタコーヴィチは文字通り満を持して、純器楽による新たな交響曲の創作を開始しました。そして何度も書いては破棄を繰り返した後、翌1936年にこの交響曲第4番が現在の形で完成されました。そしてシュティードリ指揮レニングラード・フィルにて初演が決まり、リハーサルも始まったのですが…

 1936年といえば、ソヴィエト共産党機関紙「プラウダ」でショスタコーヴィチがこてんぱんに糾弾された年です。このプラウダ批判を知ったからか、当初は初演に乗り気であったシュティードリの様子が、いささかおかしくなりました。
 不規則な変拍子に加えて複雑なオーケストレーションを施したこの曲がリハーサルの最初から上手く演奏できるわけもないのですが、シュティードリは少し演奏しては止めて振り返り、練習に立ち会っていたショスタコーヴィチを怪訝そうな顔で睨みつけます。そのたびに、ショスタコーヴィチはこう言いました。

「いいんです、今のでいいんです。続けてください」

シュティードリは演奏を続けますが、やっぱり不協和音に当るたびにオーケストラを止めては睨みつけを繰り返しました。これですっかりレニングラード・フィルの楽団員の士気も下がり、「反体制派の作曲家が、懲りずにまた過激な交響曲を作って抵抗している」「このまま演奏したら、自分たちの命も奪われかねない」などと、険悪な雰囲気が波及してしまいました。ショスタコーヴィチはもはやこのまま初演すると間違いなく当局の火に油を注ぐことになることを悟り、最終リハーサル終了後、止むなく譜面を回収することにしました。原因や詳細については諸説ありますが、結果として初演は中止になったのです。そして第二次世界大戦の混乱の中で総譜も散逸し(もしくは破棄された?)、交響曲第4番は「失敗作」の烙印とともに闇に葬られてしまったのです。
 しかし公的には失敗作とは認めつつも、ショスタコーヴィチのこの曲に対する思い入れは強かったようで、その後何度か自らピアノで演奏しては、初演の可能性を探っています。ところがムラヴィンスキーには「初期の作品には興味ない」と断られ、訪ソ中であったクレンペラーは乗り気になったものの諸事情で実現せず、最終的にパート譜を元にしてスコアが復元され、キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルにて初演が実現したのは、作曲から四半世紀もの月日が流れた196112月のことでした。

 この曲の最大の特徴は木管楽器20人、金管楽器16人、ティンパニ2対を含む巨大な楽器編成。そしてその中身も、当時傾倒していたマーラーの交響曲にインスパイアされた長大かつ大音響あり、室内楽的なアンサンブルありの自由気まぐれな展開、様々な曲からのパロディ的な引用、全3楽章がことごとく最弱音で終わるという意味深長な楽章構成など、ショスタコ―ヴィチ青年期の集大成とも言うべき盛りだくさんなものです。確かに必要以上に手が込んでいて難解な交響曲ですが、現在はショスタコーヴィチの最高傑作としての評価をされてきており、徐々に演奏の機会も増えてきています。


1楽章 アレグレット・ポコ・モデラート

 シンバルやシロフォン(木琴)を伴う衝撃的な導入部に続き、トランペットとトロンボーンにて第1主題が単刀直入に提示されます。怒涛のような響きが続きます。一応のソナタ形式を踏襲してはいるものの、もはやその境界線もはっきりしないほど自由な展開を見せます。大音響が止むと、ファゴットやバスクラリネット、ホルンに受け継がれるモノローグ風の第2主題。時折小クラリネットによる「かっこう」の鳴き声(マーラー『巨人』からの引用)が聞こえますが、これも曲が進行すると、跳躍の度合いが広がってグロテスクさを帯び、オーケストラ全体が強烈に打ちひしがれます。そして規則正しいリズムを刻むクラリネット群に急き立てられ、やがて加速が頂点に達すると、この楽章のクライマックスとも言える、第1主題から派生した弦楽器の激しいフーガ。シンバルの一撃をきっかけに更に音量を増し、全曲の中でも最も激しい部分へ突入します。現代音楽を先取りしたような不協和音(クラスター)を経て、冒頭の主題が回帰したところで短い再現部となります。イングリッシュホルンとヴァイオリンソロによる長いモノローグを経て、コーダ(終結部)では大太鼓をともなうファゴットソロがぽつりぽつりと第1主題を回想し、最後はイングリッシュホルンが時を刻む中で音量がフェードアウトし、消えるように終わります。

2楽章 モデラート・コン・モート

 長大な両端楽章に挟まれた間奏曲で、これもまたマーラーの影響とおもわれるレントラー風の舞曲ですが、終始テンポは揺るぎない3拍子を機械的に刻み続ける、不思議な楽章です。ヴィオラに始まるやや皮肉っぽい主題が弦楽器に広がり、さらにそれが小クラリネットによる無窮動をきっかけにオーケストラ全体に波及していきます。その流れはいったんティンパニの強打で断ち切られるものの、また弦楽の弱奏が同じ主題を再開し、木管楽器による無表情な多重フーガを経て、ホルンによる最強奏となります。最後は打楽器群がラテン音楽にも似たリズムを最弱音で刻み続け、唐突に途切れて終わります。

3楽章 ラルゴ〜アレグロ

 序奏はマーラーの『巨人』第3楽章冒頭を彷彿とさせる葬送行進曲です。足を引きずるようなティンパニの弱奏とコントラバスのピツィカートに続き、ファゴットが悲壮感漂う第1主題を奏でると、オーボエ、フルート、ピッコロ、クラリネット・・・と続きます。重圧的な金管楽器を伴う総奏で、一層重苦しい雰囲気が助長されます。木管楽器のアンサンブルによるブリッジを経て、何かに急き立てられて走りだすかのような3拍子のアレグロへ突入するのですが、ここからは行く先も見えずに迷走するかの如く、盛りだくさんの曲想が脈略なく次々と入れ替わります。酔っ払って大騒ぎするような極端な大音響があるかと思えば、最弱奏のアンサンブルもあり、俗っぽいワルツでR・シュトラウスの『ばらの騎士』のワルツのモチーフがひっくり返って出てきたり、ファゴットやトロンボーン独奏による勇ましくも孤独なコンバットマーチが登場したり、低弦楽器に耳を澄ませばマーラーの『巨人』『復活』の断片が聞こえてきたり…
 長大なコーダ(終結部)は、それまでの混沌とした雰囲気から一変し、2対のティンパニの無骨なかけ合いの先導で、金管楽器がマーラーの第7交響曲の終楽章とも共通するような明るいハ長調のコラールを奏でます。それまでの混沌と迷走をすべて否定し、笑い飛ばすような勢いなのですが、どこか躁状態のような空虚さが漂います。そしてその裏では、木管や低弦楽器は依然として序奏の重苦しい主題を叫び続けます。そのハ長調のコラールも力尽きて減衰し、弦楽器が最弱奏でハ短調の和音を延々と伸ばし続け、リズムを刻み続けてきたティンパニとコントラバスもやがて途切れがちになり、管楽器の断片的なソロとチェレスタの印象的な分散和音を伴い、静かに消え入るように全曲を締めくくります。

 さて、この交響曲第4番を教訓に、ショスタコーヴィチは再度のプラウダ批判を避けて作曲者生命を維持するために、とある方法術にたどり着きます。
 プラウダ批判の翌年に作曲された交響曲第5番作品47では、一変して全てを悔い改めたかのような平易な作風に変わり、なおかつ最後も勝利のコラールで力強く締めくくられるもので、こちらは初演後大成功を収め、当局を大いに満足させて面目を保ちます。しかし、彼自身は交響曲第5番のエンディングについて、晩年このように述懐しています。

「あれは歓喜ではない。『強制された』歓喜なのです。お前の仕事は喜ぶことだ!と連呼されながら鞭打たれているんです」

つまり、一見当局の「お題」どおりに見える交響曲第5番も、その裏にある複雑で意味深長なコンセプトは交響曲第4番と寸分違わないものなのです。そう、ショスタコーヴィチの作曲家としての才能は、その後の彼の作品の最大の特色ともいえる、タテマエの中にホンネを潜ませる「二重言語」という手法を確立させたのです。

(2013.3.3)

 


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