ショスタコ−ヴィチ:交響曲第10番ホ短調 作品93

D.Shostakovich:Symphony No.10 in e-minor, Op.93


 20世紀の旧ソ連(ロシア)を代表する作曲家の一人であり、器楽・声楽・舞台作品など幅広いジャンルに傑作を遺したドミトリ・ショスタコーヴィチ(19061975)。中でも全15曲の交響曲は、彼の膨大な作品群の中でも一つ一つが重要な位置づけを占めています。
 ショスタコーヴィチは、反体制的な作曲家として糾弾された1936年のいわゆる『プラウダ批判』以来、常に命の危険に晒され、まるでスターリンの顔色を窺いながらの創作活動を余儀なくされていました。そのためか、交響曲もホンネとタテマエ、すなわち単純明快な社会主義賛美(と見せかけた)作品と、苦悩に満ちた心情をストレートに吐露する作品を交互に発表しています。そして交響曲第9番(1945年)ではその軽さや演奏時間の短さから、ベートーヴェンの『第9』のような大作を期待したスターリンの意にそぐわず再び批判され(『ジダーノフ批判』)、その後しばらく交響曲の創作からは遠ざかっていました。
 そして8年の時が流れて19533月、スターリンが脳内出血で倒れると、それまでの杓子定規な厳しい統制が少しだけ緩み始めました。まさにチャンス到来、と直感したショスタコーヴィチは、すかさず一気にこの交響曲第10番を書き上げたと言われています。

 この曲はオーソドックスな4楽章を踏襲しつつも、重厚長大な第1楽章と極端に短い第2楽章や軽いフィナーレなど、明らかに意図されたアンバランスな構成をとっています。またショスタコーヴィチの作品の真骨頂である『二重言語』の手法についても、大きく進歩しています。かつて交響曲第5番などで言いたいことをひた隠しにした結果、聴き手へ作品の真意が伝わらなかった教訓を踏まえ、この交響曲では当局から文句の付けようのない純粋な絶対音楽に見せかけつつ、あちこちに暗号化して埋め込まれたメッセージにより、自らは語らずとも、音楽そのものによって雄弁にホンネを語らせているのです。
 またこの曲では、彼の名前のドイツ語表記(Dmitri SCHostakowitch)の頭文字に音を当てはめた[D(レ)-Es(ミ♭)-C(ド)-H(シ)]という音型が随所に登場します。かつてあのJ.S.バッハにも自分の名前に音を当てはめて作曲したフーガがありますが、ショスタコーヴィチは単なる音の遊びというよりもワーグナーのライトモティーフのような扱い、もしくはシュトラウスの『英雄の生涯』よろしく作曲者自身を表すテーマとして、要所要所で存在感を発揮するところが大きな特徴です。

1楽章 モデラート

 ソナタ形式という交響曲の伝統を踏襲しつつも、演奏に20分以上かかる長大な楽章です。静かで不気味な低弦に続き、ヴァイオリンとヴィオラがドミトリ・ショスタコーヴィチ(D.S)のイニシャルに由来した[D(レ)-Es(ミ♭)]というモチーフを演奏します。これが後半の楽章では[D(レ)-S(ミ♭)-C(ド)-H(シ)]という、より印象的な音型へ発展し、何度も登場するのです。孤独で冷ややかなクラリネットの独奏に続き、フルートによる不安定なワルツ。そして徐々に管楽器や打楽器も加わり、感情を爆発させることなくじわりじわりと音量を増し、やがてやるせない感情が頂点に達します。その後は徐々に音量を落とし、静寂の中でクラリネットソロにもう1本クラリネットが重なり、ワルツを踊ります。コーダは氷のように冷たく、2本のピッコロによる二重奏も力尽きて1本のみとなり、静かに終わります。

2楽章 アレグロ

 第1楽章とは打って変わって演奏時間4分半、疾風怒濤のごとくあっという間に終わる楽章です。冒頭の木管楽器による急速で超絶なパッセージ、コントラバスの演奏するヴァイオリン並みの高音(ト音記号)など、狂気ともいえる常軌を逸したオーケストレーションが施されています。ちなみにこの不自然で威圧的な楽章について、ショスタコーヴィチは後に「音楽によるスターリンの肖像画」であると述べています。

3楽章 アレグレット

 緩徐楽章を装いつつ、実は第1楽章よりも速いアレグレット(やや快速に)という速度指定による、静かな三拍子のレントラー風の楽章です。弦楽器による第一主題に続き、木管楽器が奏でる第二主題にて、冒頭でその存在を示唆していた[D(レ)-S(ミ♭)-C(ド)-H(シ)]音型が初めて全容を現します。そして突如ホルンに出てくる[E(ミ)-A(ラ)-E(ミ)-D(レ)-A(ラ)]という新たなモチーフ。これは諸説あるものの、モスクワ音楽院時代の教え子エルミラ(E-La-MI-Re-A)・ナジローヴァのことで、当時ショスタコーヴィチが彼女へ密かに心を寄せていたのではないかと考えられています。そう言われると、この[D-S-C-H]と[E-A-E-D-A]とのやりとりを聞いているうちに、一見暗くて寂しいこの楽章が、『ロメオとジュリエット』のバルコニーシーンのような、深夜の幸福な密会にも思えてきます。しかし結局この2つの主題は別れ別れになり、最後はピッコロとフルートの[D-S-C-H]だけが取り残されてしまいます。

4楽章 アンダンテ〜アレグロ

 序奏は第1楽章同様、低弦楽器により静かに開始されますが、冒頭の不気味さに少しだけ光明が差し、明るい未来を予感させます。オーボエによる恐怖に怯えるようなモノローグがフルートやファゴットに波及し、やがてクラリネットの歯切れよい合図でアレグロの主部に入ります。ヴァイオリンやとフルート・ピッコロが交互に明るく爽やかなホ長調の第一主題を奏で、低弦に現れるロシア舞曲風の歯切れよい主題とともに、自由奔放に曲が展開していきます。その一方で、序奏部に登場した恐怖のテーマが木管楽器で再現し流れを妨げ、第2楽章のスターリンのテーマが回帰して迫り来るのですが、激しい葛藤の末、[D-S-C-H]の最強奏が全てを振り払います。そしてクールダウンしてなお払拭できない恐怖感と、トランペットの低音とトロンボーンによる[D-S-C-H]のテーマと交錯します。やがて民衆の舞曲が再び盛り上がり、ティンパニが勝利の[D-S-C-H]音型を高らかに連打し、颯爽と全曲を締めくくります。

この交響曲第10番はスターリン政権崩壊直後の195312月に初演され、賛否両論とともに、この曲に込められた作曲者の意図について様々な物議を巻き起こしました。例えば「スターリン政権の雪解け」、「スターリンへの痛烈な風刺」、「作曲者名を主題にした自己顕示」、あるいはリストよろしく「ショスタコーヴィチ版の『ファウスト交響曲』(ショスタコーヴィチ、スターリン、エルミラ→ファウスト、メフィスト、グレートヒェンに各々対応するらしい)」、など。スターリンの時代をテーマとした時事的な交響曲であることだけは明らかにしていたものの、再三の厳しい批判に辟易していたショスタコーヴィチはこの曲について生前は多くを語らず、こうコメントするに留めています。

「人間の感情と情熱の表現です。でも、この交響曲については、これ以上私からは語らない方が良いでしょう。こう感じていただきたいと私から押し付けるよりも、皆さんがどう感じられたかという率直な意見に耳を傾ける方がはるかに興味深いのです」

さて、本日ご来場の皆さまは、どのような感想を持たれましたか?

(2013.6.30)

 


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