ショスタコーヴィチ:ロシアとキルギスの民謡の主題による序曲 作品115

D.Shostakovich:Overture on Russian and Kirghiz Fork Themes, Op.115


 かつてソヴィエト連邦は、ロシアを中心に周辺の大小さまざまな計14カ国を傘下に従えていました。その構成国の一つであるキルギス(当時の正式な名称は「キルギス・ソヴィエト社会主義共和国」)は中央アジアの東端、新疆ウイグル自治区(中国)とも国境を接している小さな国で、山と高原に囲まれたシルクロードの中間地点であるとともに、中国やモンゴル等周辺各国からの侵攻で常に悩まされてきた国でもあります。そして隣国であるロシア帝国も例外ではなく、1863年のキルギス北部併合をきっかけにキルギス全土を制圧し、そのままソヴィエト連邦による支配へと繋がります。本当は間違いなくロシア帝国が武力でキルギスを占領したのですが、当時のソヴィエト政府はあえてこれをキルギスの「自由加盟」(自由とは名ばかりであることは言うまでもありませんが)と呼んでいました。
 その「自由加盟」100周年となる1963年、ショスタコーヴィチは記念行事に出席するためにキルギスを訪れ、そこで地元の人々と触れ合い、土地の音楽に耳を傾けるうちに、キルギスの人々の勤勉で温かい民族気質と高い芸術レベルにいたく感動します。そしてこの地方に伝わる民謡を題材にした曲を作曲することで、彼らへ敬意を表することを思い立ちました。とはいっても当時のショスタコーヴィチは諸般の事情により、共産党員の肩書を背負っていました。スターリン時代ほどの厳しい取り締まりはなくなったものの、まったく社会主義リアリズムにそぐわない作品を作曲するわけにはいきません。そこでキルギス民謡と、ソヴィエト連邦の中心であるロシアの民謡を対比し共存させることで、キルギスの「自由加盟」とソヴィエト連邦の統一感を演出することにしたようです。初演は同年11月に当時のキルギスの首都フルンゼ(現在のビシュケク)にて演奏され、数日後にはモスクワでも演奏されました。
 この曲は全体的に民族色の強い作品となっていますが、その中に文字通りロシアとキルギスの民謡による主題が随所に盛り込まれています。まず冒頭の木管楽器の旋律はキルギス民謡『ティリルダン』。ティリルダンとは、キルギスに語り継がれている伝説上の人物名です。そしてフルートのソロをきっかけにテンポが上がり、ホルンに提示される歯切れの良い主題はロシア民謡『おお、放浪の人よ』。その後民族舞曲風の3拍子がしばらく続いた後、弦楽器による力強い主題はキルギス民謡『オプ・マイダ』。脱穀作業のときの仕事歌です(本当はもう少しのんびりした歌のようです)。これら3つの民謡にショスタコーヴィチのオリジナルの主題を組み合わせながら曲は展開し、やがて金管楽器を中心に冒頭の『ティリルダン』が回帰し、コーダは一瞬の沈黙の後に急激にテンポが上がり、『オプ・マイダ』の旋律を中心とした熱狂の中で曲が結ばれます。

 ちなみにこの曲で引用しているロシア民謡『おお、放浪の人よ』は、ロシアといいつつも、実は首都モスクワからは遥か遠いシベリア地方の民謡なのです。これはシベリア出身であるショスタコーヴィチの両親への敬意なのでしょうか、それともソヴィエトの直接支配が行き届かない「地方」を讃えたアイロニー(皮肉)なのでしょうか。とりあえずはあまり考え過ぎず、純粋に音楽を楽しむことが良さそうです。そしてキルギスは1991年のソヴィエト連邦崩壊とともに再び独立を果たし、現在はロシアとは共存共栄の一独立国家「キルギス共和国」として歩んでいます。

(2016.1.31)


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