ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネルラ」(1965年改訂版)
I.Stravinsky:"Pulcinella"(1965 Version)
ロシア出身の作曲家、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882〜1971)。彼の作風は、とても一言では表せません。何しろ、スラブ民族らしい土俗的な作品もあれば、フランス音楽のような洒脱な作品、アメリカ音楽のようなかっこいい作品、新ウィーン楽派の影響を受けた前衛的な作品…活動拠点が色々変わる作曲家はいても、ここまで作風がカメレオンの如く二転三転している作曲家はなかなかいないでしょう。そして本日演奏するこの『プルチネルラ』も、これまでのストラヴィンスキーの作風がいわゆる「新古典主義」へと大きく変化するきっかけとなった作品です。
1919年、ロシア・バレエ団(バレエ・リュス)の主宰者であり、過去にストラヴィンスキーへ3大バレエ音楽(『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』)を始めとする様々な音楽を委嘱し成功を収めていたセルゲイ・ディアギレフは、また新たな企画を考えていました。スカルラッティの原曲を基にトマシーニが編曲した『上機嫌な夫人たち』(1917年初演)、ロッシーニの作品をレスピーギが編曲した『風変わりな店』(1919年初演)に続く、イタリアの古い作品をリメイクしたいわば「懐古シリーズ」です。一つとして、ペルゴレージ(1710-1736)の未出版作品を集め、これで大管弦楽のためのバレエ音楽としてまとめるよう、ストラヴィンスキーに依頼したのです。またその際、ディアギレフの片腕でもあった振付師レオニード・マシーンの助言により、イタリアの伝統的な仮装喜劇(コメディア・デラルテ)による即興性の高い物語、というアイディアも加わりました。
大量のペルゴレージの自筆譜を預かったストラヴィンスキーは考えた末、各々の曲の主旋律やベースラインはそのままに、専らその間に入る和声や対旋律を工夫することで新たな音楽をリメイクすることにしました。そして響きが厚くなり過ぎないよう、ここだけはディアギレフのオーダーと真逆に、オーケストラの編成はバロック時代の「コンチェルト・グロッソ」の響きに近付けて縮小しました。そのためオーケストラは、打楽器も、ハープも、そして木管は特殊楽器はおろかクラリネットも登場しない、ハイドンかモーツァルトのような小編成となり、弦楽器はソロを多用し、一部の曲には独唱者3名が加わるという、極めて個性的なバレエ音楽が誕生したのです。
初演は1920年にパリのオペラ座にてレオニード・マシーンの振付、エルネスト・アンセルメ指揮、衣装及び舞台デザインはパブロ・ピカソにより行われて大好評を博し、その後何度も同バレエ団にて再演されました。ちなみにディアギレフから渡された大量の「自筆譜」は、現在ではその相当数がペルコレージの作品ではないことが判明しています。
物語の舞台は、17世紀頃のナポリ。主人公プルチネルラはイタリアのコメディア・デラルテにしばしば登場する、白い衣装の道化師。彼のあまりのモテぶりに嫉妬した男たちにより袋叩きに遭い死んでしまいますが、実はただの死んだふり。背格好の似た友達に道化師の服を着せて入れ替わり、自分は魔術師の振りをして生き返らせに来たら、モテたい一心でプルチネルラと同じ格好をした男たちが続出して大騒ぎ…最後は皆が元通りの組み合わせのカップルとなり、めでたしめでたしとなります。
シンフォニア(序曲)
《第1場》
a)セレナータ「子羊が新鮮な牧草を食べている」(テノール)
b)スケルツィーノ
c)ポコ・ピウ・ヴィーヴォ
d)アレグロ
e)アンダンディーノ
《第2場》
a)アンコーラ・ポコ・メノ「苦しめられても、それを甘んじて」(ソプラノ)
b)アレグロ・アッサイ
《第3場》
アレグロ(アラ・ブレーヴェ)「こんなにも甘い言葉で」(バス)
《第4場》
a)アンダンテ「安らぎなんてもうないそうだぜ お前には」(ソプラノ・テノール・バス) 〜「女は悪魔よりも賢いと人は言うが」(テノール)
b)アレグロ「愛なんてものには無関心」(ソプラノ・テノール) 〜プレスト「無邪気な振りをする女」(テノール)
c)タランテラ
《第5場》
a)「もしもあなたが私を愛してくれるのなら」(ソプラノ)
b)アレグロ
《第6場》
ガヴォットと変奏
《第7場》
ヴィーヴォ
《第8場》
a)メヌエット「愛の焔に燃える瞳よ」(ソプラノ・テノール・バス)
b)フィナーレ:アレグロ・アッサイ
(2016.8.6)