プロコフィエフ:交響曲第1番二長調Op.25『古典』

S.Prokofiev:Symphony No.1 in D major, Op.25 "Classical"


 「もしもハイドンが現代に生きていたら、どんな曲を書いたのだろうか?」

 20世紀前半のロシアを代表する作曲家、セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)は、ふと、このシンプルな疑問を自分自身へ投げかけました。1916年当時、音楽院を出たばかりで血気盛んであった若きプロコフィエフは、初期のストラヴィンスキーにも通じるモダニズムにどっぷりと浸かっており、特殊楽器の入った巨大なオーケストラを好み、鋭角的で激しいリズム、強烈な不協和音といった前衛的な作風を通していました。そんな彼が、古典の音楽に目を向けたのです。
 さて、そもそも古典主義というのはどんなものなのでしょうか。一般的な音楽の授業で真っ先に学ぶのは「形の美しさ」、つまり和声進行や旋律の展開方法、あるいは音楽形式などルールや理論が存在するゆえの安心感のようなものがあること。もうひとつは、バロック時代は当たり前であった通奏低音(ベースラインで常に鳴っている楽器)から脱却し、「主旋律+伴奏」のスタイルが確立したこと。加えて任意の旋律楽器で置き換えられない、各楽器固有の「音色」のために音楽が作曲されるようになったこと等。プロコフィエフはこの要素を十分吟味し、自身優れたピアニストであったにも関わらず、敢えてピアノへ向かわずに作曲を始めました。
 そして翌1917年に『古典』交響曲が完成し、19184月にプロコフィエフの指揮により現在のサンクトペテルブルクにて初演されましたが、聴衆の反応は賛否両論であったようです。ちょっとお聴きになれば分かりますが、プロコフィエフは古典派の交響曲にありがちな2管編成のオーケストラを用い、きっちりした古典的な枠組みの中で作曲していながら、目まぐるしい転調や音域の広い旋律など、彼の音楽のもつモダニズムはそのまま遺憾なく発揮されていたからです。そのため当時のモダンな音楽としては聴きやすかった一方で、ハイドンやモーツァルトのような音楽を期待した人々は間違いなく戸惑ったことでしょう。
 そしてプロコフィエフはこの聴衆の反応に満足していました。これが、まさにプロコフィエフの狙っていたコンセプト――「ハイドン風の交響曲」ではなく、「ハイドンがもし現代に生きていたら作曲していたであろう交響曲」――だったのです。

第1楽章 アレグロ 二長調 2/2拍子 ソナタ形式

 冒頭は華やかな上昇和音で開始され、やがて唐突にハ長調へ転調します。古典派交響曲のお約束である「提示部の繰り返し」こそありませんが、展開部のffでは低弦楽器の主旋律を木管楽器が伴奏する等、ところどころ役割分担が逆転しているところがユニークといえましょう。再現部はハ長調で、やがて何事もなかったかのような二長調で颯爽と終わります。

第2楽章 ラルゲット イ長調 3/4拍子 三部形式

 淡々と流れるような緩徐楽章です。ヴァイオリンの高音に始まる主題は、その後のプロコフィエフの作風にも通じる、透明でリリカルな響きがします。その後同じ旋律をフルートがなぞりますが、これはハイドンが好んで用いた管弦楽手法です。中間部は低弦とファゴットが歯切れのよい旋律を静かに奏し、やがてその無窮動がオーボエの三連符に変化したところで、主題が回帰します。

第3楽章 ガヴォット:ノン・トロッポ・アレグロ 二長調 4/4拍子

 通常の古典派であるとここはメヌエットなのですが、プロコフィエフは敢えて一捻りし、やはり伝統的な舞曲であるガヴォットを採用しました。かつて「N響アワー」のオープニング音楽にも使われましたし、のちにバレエ音楽『ロミオとジュリエット』にてこの楽章がそっくりそのまま転用されている等、この交響曲の中でも最も有名な楽章ではないでしょうか。

第4楽章 フィナーレ:モルト・ヴィヴァーチェ 二長調 2/2拍子 ソナタ形式

 快速なテンポと軽快なリズムが特徴の終曲です。ここでも唐突で目まぐるしい転調や、弦楽器の旋律を管楽器が伴奏する「逆転現象」は健在で、さらには第1楽章と違い、提示部はしっかりとリピート(繰り返し)記号が明記されています。テンポは終始緩むことなく、曲の最後まで疾走して華やかに終止します。

(2016.8.6)


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