ショスタコ−ヴィチ:映画音楽『新バビロン』作品18より

D.Shostakovich:Music from the Film"New Babylon" Op.18


さて、ショスタコーヴィチの作品というと、交響曲などのように難解で暗くて常に何か言いたげな曲を連想される方が多いのではないでしょうか。しかし、これから演奏する映画音楽は実はとても平易で、交響曲とはまったく違った印象を受けるはずです。そして自発的にではなく依頼者の注文で作曲したものでありながら、彼の映画音楽は一連の作品群の中でも特に重要な位置を占めています。

 今回演奏する『ニュー・バビロン』は、ショスタコーヴィチが手掛けた実質上初めての映画音楽です。当時は映画といえば無声映画で、映画館にはスクリーンの下にオーケストラピットがあり、楽士たちが劇伴音楽を演奏していました。しかし当時の映画の伴奏は往々にして数種類の楽曲を使い回し、それっぽい場面に合わせて適当に演奏するだけのことが多く、言わば単なるBGMでしかありませんでした。そんな中で新進気鋭の2人の映画監督、グリゴリー・コージンツェフとレオニード・トラウベルク(漫画家の藤子不二雄さんのように、ペアで一つの作品を制作していました)が、まだモスクワ音楽院を出たばかりのショスタコーヴィチに映画音楽の話を持ちかけました。
 2人の監督の最大のこだわりは、映像と音楽の一体化でした。ショスタコーヴィチもその期待に応え、楽器編成こそ映画館のオーケストラピットに収まるよう最小限(ホルン2本、他の管楽器は1本)に絞りつつも、ダイナミックレンジが広く多彩な響きの引き出しを持つ音楽を作曲し、そして単なる「楽しい場面」「悲しい場面」に留まらず、スクリーンに映る映像とシンクロして音楽で登場人物の感情表現を試みる等、当時としては極めて前衛的な映画が出来上がりました。
 しかし、物語こそ当時の社会主義リアリズムを肯定する内容であったものの(当時はこれでないと粛清される)、難易度の高いショスタコーヴィチの音楽が映画館の楽士たちからは不評で、結局他の作曲家によるものに差し替えて上映することが多くなりました。そしてショスタコーヴィチの音楽はお蔵入りとなったまま、無声映画の時代は終焉を迎えます。
 物語のあらすじですが、舞台は1871年のパリ。デパート「ニューバビロン」で働くルイーズはフランス政府軍の敗残兵ジャンと知り合い、恋人同士になります。そしてこのままデパガと兵隊さんの恋物語が…であれば良かったのですが、なにぶん当時はパリ・コミューンと政府軍が衝突し混乱していた時期です。やがてルイーズは市民運動に参加することになり、ジャンも政府軍からの召集令状に応諾せざるを得ず、2人は「ロミオとジュリエット」のように敵味方で別れ別れとなってしまいます。そしてパリ・コミューン鎮圧後ルイーズは政府軍に捕らえられ処刑されることになり、彼女を葬る墓穴掘りを命ぜられたのが、皮肉にも恋人のジャン。そしてジャンの気持ちが再び共産主義へと…。

さあ能書きはここまで。映画の底辺を流れる悲劇とか社会主義リアリズムとかは一旦お忘れいただき、スクリーンの下のオーケストラピットから聞こえてくるコンバットマーチやフレンチ・カンカン(有名なオッフェンバック『天国と地獄』からの引用)など見せどころ満載の映画音楽で、純粋に19世紀後半のパリを満喫していただけると幸いです。

(なお本日はロシアの指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーにより編纂された組曲全6曲のうち、第1曲「戦争」、第2曲「パリ」、第6曲「ヴェルサイユ」の3曲を演奏します)

(2015.2.8)


もとい