マーラー:交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

G.Mahler:Symphony No.7 in e-minor "Nachtmusik" 



 
  とにかく不思議な曲です。マーラー屈指の会心作なのに、演奏される回数が最も少ない。冒頭はロ短調なのに、全く近親関係の無いハ長調で終わる。第2楽章は長調と短調を絶えず行き来しており、結局何調か不明なまま終わる。第3楽章では、マーラーなのにバルトーク・ピツィカートが出てくる。第4楽章は交響曲なのに、ギターやマンドリンのような妙に身近な楽器が登場する。そして終楽章は「夜」という表題とは程遠い、お祭り騒ぎのようなロンド。そして感情の起伏が激しいマーラーの曲、しかも短調なのに悲劇的な暗い印象はなく、むしろ楽天的で爽快感すら残る曲なのです。
 マーラーがこの曲の作曲を開始したのは1904年。音楽監督としてウィーン国立歌劇場に君臨していた時期で、名門ウィーン・フィルも毎回のように指揮し、プライベートでも2人の娘の誕生等、まさに満ち足りた日々でした。そして過密スケジュールの中でわずかの休暇を見つけては避暑地マイエルニヒにある別荘にこもり、作曲の筆を進めていました。彼の中期の作品(交響曲第5,6,7番、歌曲集「亡き子をしのぶ歌」等)は、こうして誕生したのです。実は交響曲第7番に着手した当時はまだ交響曲第6番「悲劇的」は完成しておらず、つまり一時的にせよ第6番と第7番は並行作業で作曲されました(主題や和音進行が何となく相互に似ているのはそのためです)。しかし第2・4楽章を書いたところで筆は一旦止まり、まだ見えぬ全体像についていろいろと模索が始まります。そして翌1905年の夏休み、やはり同じマイエルニヒの湖でボートを漕いでいるときに冒頭の楽想を思い付き、残りの楽章が一気に書き上げられたと伝えられています。
 初演は1908年にプラハで行われましたが、リハーサルの度に全パート譜を持ち帰りオーケストレーションに手を加えるという彼の入念な準備にも関らず、不評に終わります。実際特殊楽器を多用する楽器編成や演奏困難なフレーズの多さ以上に、冗長で分裂症的な前半の楽章や取ってつけたような天真爛漫なフィナーレなど楽曲構成上の問題点をしばしば指摘され、それゆえにマーラーの「失敗作」である、と断言する人さえいます。しかし随所に仕掛けられたベルリオーズばりの激しい表現や、突如訪れる雲間から差す陽の光のような静かで美しい旋律、変幻自在のテンポ指示や的確かつ効果的な強弱設定等、マーラーの面目躍如ともいえるそのきめ細かな「演出効果」は全交響曲中でも卓越しており、スコアを見ていて飽きることはありません。
 
 

第1楽章:Langsam(ゆっくり)〜Allegro risoluto,ma non troppo

 さざ波のような静かな伴奏に乗り、テナー・ホルンが朴訥とした旋律を奏で始めます(この楽器、通常はオーケストラで使用することは殆どありません)。木管楽器群の先導で少しずつ加速がつき、主部ではホルンが第1主題を提示します。新しいメロディーが登場する度にテンポはめまぐるしく動き、さながら往年のSF映画よろしく宇宙船が急上昇、急旋回しているような感じです。と思いきや、展開部の途中で突然無重力空間に放り出されたような静寂が訪れます(もちろんこの曲は絶対音楽であり、1905年当時のマーラーがこんな描写を想定したはずはないのですが)。再びテナー・ホルンが2本のトロンボーンと交互に対話を始め、行進曲風のコーダののち、この「宇宙旅行」は突如として終わりを告げます。
 

第2楽章:夜の歌(Nachatmusik 1)、Allgro moderato

 前の楽章とはうって変わってテンポも安定し、夜も更けた深い森の中を歩いているような、ゆっくりとした行進曲が繰り広げられます。遠近感を出すために、各パートにはわざとフォルテとピアノを混在させてオーケストレーションし、同時進行させています。冒頭はホルン同士の掛け合いから徐々に管楽器が重なり、聴き手を森の中へ誘います。またコーダではベートーヴェンの「田園」交響曲よろしく、クラリネット群の先導で鳥の声の模倣が聞こえてきます。
 

第3楽章:スケルツォ、Schattenhaft(影のように)

 標記上はスケルツォですが、言うなればちょっとパロディがかったワルツです(後年ラヴェル「ラ・ヴァルス」やラフマニノフ「シンフォニック・ダンス」にて同様の変形を行っています)。弦楽器を中心に絶えず聞こえてくる無窮動的な3連符に乗って木管楽器が「お化け」のような主題を奏で、続いて即興的なテンポの伸縮やほとんど奇音とか悲鳴といった表現の方がふさわしいような音が、オーケストラのあちこちから聞こえてきます。トリオは長調に転じて木管楽器とソロ・ヴァイオリンが一筋の光のような少しだけ明るい旋律を奏で、流れが一瞬止まります。
 

第4楽章:夜の歌(Nachatmusik 2)、Andante amoroso

 この楽章は全曲の中でも比較的聴きやすいと思います。夜もすっかり更け、1軒だけ灯りのついた部屋の中でしみじみと思い出話を語っているような曲で、ここだけギターやマンドリンが登場し、アットホームな雰囲気に色を添えます。そして、やがて言葉が途切れがちになり、いつしか眠ってしまったようで…。
 

第5楽章:ロンド・フィナーレ、Allegro ordinario

 冒頭いきなりティンパニの力強いソロに続いて金管楽器のファンファーレが鳴り、突如として朝の眩しい光が差し込みます。賛歌的なお祭り騒ぎの喧騒は、さしずめワーグナーの「マイスタージンガー」終幕と共通しているかも知れません。マーラーの作品にどれも共通しているような人間的などろどろした葛藤はこの楽章には一切現れず、もはや理想郷で浮世のしがらみから解放され、幸福感に浸っているような楽章です。
 とすると、この全5楽章・演奏時間約80分の大曲に共通するテーマは「夜」そのものというよりも、夜に見た「幻想」もしくは「夢」なのではないか?と筆者は思うのです。

 ちなみに初演の前年である1907年のマーラーは、長女をジフテリアで亡くし、自身も心臓病の宣告を受け、さらにはウィーンの地位を追われてしまう等、運命が一気に暗転した時期でもありました。そして傷心のマーラーはひょっとしたら初演の指揮をしながら作曲当時の幸福な日々やありし日の娘の姿をふと思い出し、涙を浮かべていたのかも知れませんね…。
 

(1998.9.23/10.11)

 


もとい