マーラー:交響曲第1番ニ長調

G.Mahler:Symphony No.1 in D-major



 
 グスタフ・マーラー(1860〜1911)の作品の最大の魅力は、熱っぽい語り口と大オーケストラの迫力の中にも、シューベルトの流れを汲んだ平易で美しい旋律が共存しているところでしょう。ご多分に漏れず、この交響曲第1番も前作の「さすらう若人の歌」から引用された美しく歌謡的な旋律がふんだんに登場するうえ、マーラーの諸作品の中でもとりわけ新鮮で描写的な印象を受けます。それもそのはず、この曲はもともと交響曲ではなく、前身は若き日のマーラーが自らの青春時代の多感な感情をそのまま音にした、いわゆる「交響詩」であったのです。
 1860年に当時オーストリア領であったボヘミアの小さな町・カリシュトにて生まれたマーラーは、生前は作曲家よりも、指揮者としての才能の方が認められていました。1880年に弱冠20歳にて指揮者デビュー後、ヨーロッパ各地の大小さまざまな歌劇場やオーケストラでキャリアを積んだのですが、その中でも特に1883年、ドイツ中部にあるカッセルという町に、宮廷歌劇場の副指揮者として赴任したての頃の話です。当時独身であったマーラーは練習や本番のタクトを取っているうちに、その歌劇場に出入りしていたソプラノ歌手、ヨハンナ・リヒターのことが気になり始め、やがて好意を抱き始めます。そして、彼女のために「花の章」(ラッパ吹きの主人公が、ライン河の対岸に住むお姫様にセレナーデを吹いて聴かせる、という設定)という小品を作曲し、募る思いを込めます。しかし、この思いは残念ながらヨハンナには通じませんでした。そしてヨハンナとの失恋の痛手は、同じ時期に作曲していた歌曲「さすらう若人の歌」に暗く影を落とすことになります。
 やがてマーラーはカッセルを離れ、ドイツ・オーストリアを中心にヨーロッパ全土を忙しく駆け回る生活が始まります。そしてカッセルで過ごした時期の瑞々しい思い出の集大成として、前述の「花の章」「さすらう若人の歌」の主題の引用も織り交ぜ、1888年に「2部5楽章からなる交響詩」を作曲しました。この曲は同年11月にブダペストにて初演後、当時愛読していたジャン・パウルの小説にちなんで「巨人(Titan)」と名づけられました。この、まるでスメタナの「我が祖国」を彷彿とさせる壮大な連作交響詩は以下の通り区分され、各曲には標題が付いていました。
 

 第1部 青春の日々より

  1 果てしなき春

  2 花の章

  3 満帆に風を受けて

 第2部 人生喜劇

  4 座礁、カロ風の葬送行進曲
 
  5 地獄から天国へ!

もっともこの交響詩は、マーラーにとっては、自身の失恋の思い出があまりに色濃く反映されているため、演奏するのが辛かったようです(そりゃそうですよね、元彼/元彼女の思い出、増して過去の古傷など人前で喋りたがる人なんて居ませんよね)。ここで彼は1894年のワイマールにおける演奏を最後にすべての標題を削除、さらにはヨハンナと最も直接的に関連がある「花の章」を除いて全4楽章構成に組みなおし、さらに細部に修正を重ねたのち、「交響曲第1番ニ長調」という何の変哲も無いタイトルで出版します。
したがってこの交響曲は「巨人」(もしくは「タイタン」)という通称で呼ばれているものの、例えばショスタコーヴィチの5番「革命」やドヴォルジャークの8番「イギリス」同様、曲との関連は極めて薄く、むしろ絶対音楽として先入観なしで曲に入っていくのが最も作曲者の意図に沿っているようです。
 

第1楽章 ゆっくり、引きずるように(自然の響きのように)

 この曲の前身が交響詩であったということを物語るような、描写的な楽章です。
 弦楽器が静かに伸ばし続けるA(ラ)音に導かれて、ボヘミア(オーストリア?)の森の中、まったりとした、けだるい朝の風景が広がります。アルペンホルンやトランペットの音が遠くから響き、やがてあちこちからカッコウの鳴き声も聞こえてきます。このカッコウ、例えばベートーヴェンの田園交響曲など普通は3度(ミ?ド)と模倣されるのですが、マーラーは4度(ミ?シorド?ソ)にて演奏させており、このモチーフが、ある時は旋律の一部、そしてまたある時は伴奏のリズムで…という風に全曲の随所に登場します。序奏が終わると少しテンポがあがり、チェロがその「カッコウ」の音型から派生した旋律をのどかに奏しはじめます。これは前述の「さすらう若人の歌」の第2曲「朝の野辺を歩けば」の旋律です。やがて音量が増してきますが、マーラーの巧みなオーケストレーションにより、ffの総奏になってもまるで室内楽のような透明な響きを保つことに成功しています。展開部に入ると再びテンポが落ちて静かになり、フルートやクラリネットによる鳥のさえずりが交錯します。そしてアルペンホルンの合奏が再び響くと、再びテンポアップし、最後は息をもつかせないコーダで勢いよく終止します。
 

第2楽章 力強く躍動して、ただし急がずに

 3拍子のレントラー風舞曲です。低弦楽器による、やはり「カッコウ」音型の執拗なオスティナート(同じ音型の繰り返し)に乗って、木管楽器に生気に満ちた主題が奏され、時に木管楽器のベル・アップ奏法(マーラー特有の指示。楽器のベル(先端部分)を客席側へ向けて吹くことにより音をダイレクトに飛ばし、さらには視覚的効果も狙った奏法)まで登場します。この田舎風でぎこちない舞曲は後世の作曲家にも影響を与え、例えばマーラー同様に交響曲作家として有名なドミトリ・ショスタコーヴィチの交響曲第4番(終楽章)や第5番(2楽章)に、かなりはっきりした形で引用・発展が見られます。
ホルンのソロによるブリッジに挟まれた中間部は、テンポを少し落とし、憧れに満ちた甘美な旋律がヴァイオリンと木管楽器で交互に奏され、対話が発展します。そして、ホルンに続いて先ほどの舞曲が再現します。
 

第3楽章 荘重に威厳をもって、緩慢なことなく

 響きをわざと消してあるティンパニの弱音に続いて、独奏コントラバスが古い民謡に由来した悲しげな旋律を奏し、カノン(輪唱)風に展開していきます。葬送行進曲調ではありますが、突然辻音楽師の奏でる俗っぽい旋律がオーボエ等に登場したり(日本のオーケストラがこの手の旋律をやると往々にして演歌調にこぶしが回ってしまいがちなのですが、本日はいかがでしょうか)、軍楽隊のリズムが遠くから聞こえてきたりします。
 ハープの音をきっかけに曲の雰囲気がサロン音楽風に優しく変化する中間部は「さすらう若人の歌」の第4曲「彼女の青い目が」の後半部分がそのまま転用されており、独奏ヴァイオリンが歌のメロディをなぞります。
 冒頭の旋律が再現し、記憶の彼方にある辻音楽師のメロディや、遠くから響く軍楽隊の音が甦ってきます。やがて低音楽器群と若干の打楽器だけが残って静かに消え入るように終わり、休みなく次の楽章に続きます。
 

第4楽章 嵐のように激しく

 静寂を破り、堰を切ったような大音響が断続的に続きます。激しくうねる弦楽器群に乗って、木管を中心とした管楽器群がエネルギッシュなテーマを奏します。マーラー自身はこの激しいフィナーレについて「黒雲の中から発する稲妻の閃きで開始される…これは傷ついた心の叫びである」とコメントしています。嵐が一段落して静けさが訪れると長調に転じ、第1ヴァイオリンによる夢想的な美しい主題が登場します。金管楽器によるファンファーレ風のモチーフは、シューマンの交響曲第3番「ライン」終楽章の類似箇所からヒントを得たと言われています(他にもホルンによる唐突な合いの手の音型も同様に「ライン」の引用です)。このファンファーレは後半に数回登場し、クライマックスへの導入の役を果たしています。やがて夢の世界に引き込まれ、遠のいた意識の中で1楽章冒頭に出てきた森の風景が回帰し、鳥の鳴き声や遠くからのアルペンホルンが谺(こだま)します。そして、最後のクライマックスでは1楽章冒頭ののどかな主題は勝利のコラールに変わり、ホルンを中心としたオーケストラの最強奏となります(マーラー自身により、この箇所はホルン奏者全員にスタンド・プレイを指示しています)。テンポはどんどん上がり、熱狂のうちに全曲が締めくくられます。
 
 

(今回演奏で使用した「マーラー協会新校訂版」について)

 マーラーの作品で最も信頼できる楽譜は、マーラー協会のオーソライズの下で出版されている、いわゆる「マーラー協会版」です。この交響曲第1番も従来は1967年にユニヴァーサル社から出版された楽譜が長らくこの「協会版」としてこの曲の標準となっており、この版による演奏が殆どを占めています。ところがこの楽譜にも、指揮者マーラーの常で、演奏するたびに曲の随所を部分的に書き換え続けた結果、演奏するにあたっての矛盾(あっちで直してこっちで直していない等)が多く存在し、その殆どが未解決のままになっています。そこで1992年、同じくユニヴァーサル社より、マーラーの指示が不完全である個所や、明らかな印刷ミス、もしくは自筆譜との矛盾など細部を整理した新校訂版が出版され、今回の演奏もこの「新校訂版」を使用しています。とはいえ、ブルックナーのように曲そのものががらっと変わってしまうような大手術を施しているわけではないので、ちょっと聴いただけでは判別がつきにくいのですが…。
(なおこの新校訂版では従来コントラバスの独奏であった第3楽章冒頭の主題は「コントラバス奏者全員で」という指示に変わっていますが、マエストロの判断によりこの箇所のみ新校訂版を採用せず、元通りのコントラバスソロにて演奏します)
 
 

(2001.11.25)
 


もとい