ベルリオーズ：「幻想交響曲」（ある芸術家の生涯の挿話）Op.14a
H.Berlioz:："Symphonie Fantastique" Op.14a
そこのあなた、失恋したことありますか？
あ、ぶしつけな質問ですいません。でもこの手の経験、無い人なんて居ませんよね。でも、失恋のあと、どうやって立ち直りましたか？まあ、普通はまずは飲み屋やカラオケやゲームセンターで発散し、それから勉強や仕事やスポーツに打ち込んで自分を高めた、振った人の数倍は素敵な彼（彼女）をゲットした等。皆そうやって前向きに乗り切って、成長してきたんですよね（かっこいいこと言ってるけど、かくいう筆者は独身です）。そしてこの「幻想交響曲」は、ベルリオーズが失恋や片想いの苦しみの末に生まれた、彼なりの前向きな解決策でした。
時は1827年、青年ベルリオーズは27歳。イギリスからのシェイクスピア劇団の公演を見に行き、主演女優アンリエット・スミスソンに恋をしてしまいます。そして執拗なアプローチが始まります。もちろんスミスソンにしてみればただの１ファン、相手にしません。で、彼は自作の演奏会を開く等、何とかして気を引こうと努力するのですが、まるでだめ。つまり片想いで終わってしまったわけですが、これをバネにして1930年に作曲されたのがこの「幻想交響曲」であると言われています。（ちなみに３年後念願かなってスミスソンと結婚はしたのですが、結局幸せな結婚生活にはならなかったようです）
ちょっと聴いただけでもうおわかりかと思いますが、大変に感受性の強い作風で、随所に斬新な仕掛けが施されており、後世の作曲家に多大なる影響を与えています。また、この曲は史上初の本格的な「標題音楽」です。各楽章の標題はベートーヴェンの「田園」にも前例がありますが、その扱いは料理でいえばパセリ程度のもので、曲そのものは純粋な絶対音楽です。しかしベルリオーズの音楽は完全な「描写」であり、のちの交響詩の先駆をなしています。まず、冒頭にこのような意味の説明があります。
「感受性に富んだ若い芸術家が、恋の悩みから人生に絶望して服毒自殺を図る。しかし薬の量が足りなかったため死に至らず、重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見る。その中に、恋人は１つの旋律となって現れる…」
そして各楽章に添えられた彼自身のコメントどおり、実にリアルに曲が展開していきます。（斜字体で表示した部分が、作曲者自身によるコメントです）
第１楽章：夢・情熱
「不安な心理状態にいる若い芸術家は、わけもなく、おぼろな憧れとか苦悩あるいは歓喜の興奮に襲われる。若い芸術家が恋人に逢わない前の不安と憧れである。」
陰鬱な長い序奏で、徐々に主人公は幻覚の世界へトリップしていきます。そのあとテンポが速くなり、フルートとヴァイオリンが夢見るような旋律を奏しはじめます。これが全曲を通して何度も登場する「固定観念(idee
fixe)」、いわば彼女のテーマです。心臓の鼓動が高まり、片想いの感情が募ります。その頂点に達すると急激に振っ切れて冷静になり、幸福な結末を祈るようなコラールで静かに終わります。
第２楽章：舞踏会
「賑やかな舞踏会のざわめきの中で、若い芸術家はふたたび恋人に巡り会う。」
漠然とした喧騒の中で、徐々に舞踏会の全容が見えてきます。さて、他の男とワルツを踊っている彼女を発見。人込みの中で見えては隠れる彼女に心を焦がしつつも、何とかして近づこうと試みますが、結局ワルツが高潮してきて人込みに呑まれてしまい、見失ってしまいます。
第３楽章：野の風景
「ある夏の夕べ、若い芸術家は野で交互に牧歌を吹いている２人の羊飼いの笛の音を聞いている。静かな田園風景の中で羊飼いの二重奏を聞いていると、若い芸術家にも心の平和が訪れる。
無限の静寂の中に身を沈めているうちに、再び不安がよぎる。
「もしも、彼女に見捨てれられたら・・・・」
１人のの羊飼いがまた笛を吹く。もう１人は、もはや答えない。
日没。遠雷。孤愁。静寂。」
気持ちのよりどころであった羊飼いのやりとりも、最後は一方通行。結局１人取り残され、孤独感が強まっただけでした。
第４楽章：断頭台への行進
「若い芸術家は夢の中で恋人を殺して死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。その行列に伴う行進曲は、ときに暗くて荒々しいかと思うと、今度は明るく陽気になったりする。激しい発作の後で、行進曲の歩みは陰気さを加え規則的になる。死の恐怖を打ち破る愛の回想ともいうべき”固定観念”が一瞬現れる。」
しかし、ギロチンの刃は無情にも落とされます。首が落ち、血が飛び散ります。
第５楽章：ワルプルギスの夜の夢
「若い芸術家は魔女の饗宴に参加している幻覚に襲われる。魔女達は様々な恐ろしい化け物を集めて、若い芸術家の埋葬に立ち会っているのだ。奇怪な音、溜め息、ケタケタ笑う声、遠くの呼び声。
”固定観念”の旋律が聞こえてくるが、もはやそれは気品とつつしみを失い、グロテスクな悪魔の旋律に歪められている。地獄の饗宴は最高潮になる。”怒りの日”が鳴り響く。魔女たちの輪舞。そして両者が一緒に奏される・・・・」
鐘の合図で、テューバとファゴットでおどろおどろしく奏されるグレゴリオ聖歌の”怒りの日”の旋律。「死」を表すテーマです。
そしてこの曲、結局幻覚からは覚めないまま、宴の頂点で突然終わります。そういえばバーンスタインは音楽番組「ヤング・ピープルズ・コンサート」で、この意味深長なエンディングについて、自己の解釈を述べていました。
「結局幻覚に逃げ込んでも救いはなく、自分を葬る場面で泣き叫ぶのがオチなのです」
現実逃避なんて、所詮そういうものなんですよね。
（１９９８．２．１）