ドヴォルジャーク:交響曲第9番ホ短調「新世界から」

A.Dvorak:Symphony No.9 in e-minor Op.95 "From the New World"



 
  今回演奏するもう一つの交響曲第9番は、「新世界から」の標題で知られているボヘミア(現在のチェコ)の作曲家アントニン・ドヴォルジャークの名曲です。
 アントニン・ドヴォルジャークは1841年、モルダウ川沿いにある小さな村で、ごく普通の肉屋を営む家庭の長男として生まれました。したがってよくありがちな「一家が音楽家族で、3歳よりピアノを学び・・・」という環境で育ったわけではないのですが、彼は徐々に楽才を発揮し始め、家業を継ぐために肉屋職人のライセンスまでとったものの、結局音楽家の道を選択します。
 そして彼はプラハへ出て優秀な成績で音楽学校を卒業しますが、なかなか職は見つかりません。やっと見つかった仕事が、とある小劇場の専属楽団の首席ヴィオラ奏者(ただしヴィオラ奏者は2人だけ)。年間348グルテンという給料は、当時にしてもひどい安月給で、ピアノやオルガンを教えて何とかしのいでいたとのことです。その11年後に彼は楽団を辞めて教会のオルガニストとなり、余った時間で本格的な作曲活動を開始します。そしてオペラや声楽曲・交響曲を次々と発表し、「作曲家・ドヴォルジャーク」の名が不動のものになります。やがてプラハ音楽院作曲家教授のポストに落ち着くのですが、給料は年間1200グルテン。地位の割には、やっぱり安月給であることに変わりはありません。
 1891年、そんな彼のところへアメリカ行きの話が舞い込んできました。ニューヨークのナショナル音楽院長にならないか、という依頼がその音楽院の創設者から直々にあったのです。しかも年間8ヶ月勤務で給料は15000ドル(30000グルテン)、自作曲の演奏会が何と10回という好待遇です。しかし田舎育ちで早寝早起きの規則正しい生活パターンを守り続けているドヴォルジャークにとっては、異国の空の下で生活環境を180度変えることに抵抗があり、この話を頑なに断り続けました。しかし最終的には先方の熱意に負け、プラハ音楽院へは2年間の休暇願いを出し、小さな子供たち(子供6人中4人)を祖国に残してアメリカへ旅立ちます。
 大都会ニューヨークにおいても、ドヴォルジャークはボヘミアでの規則的な生活パターンを崩しませんでした。朝は6時に起きてセントラルパークを散歩。仕事が終わればまっすぐ家に帰り、家族とコミュニケーション。夜遊びはおろか、夜の演奏会やパーティーも断るという徹底ぶりでしたが、本人はこの生活がけっこう気に入っていたそうです。そして休暇になると、風景が故郷そっくりでボヘミアからの移民も多かったアイオワ州のスピルヴィルという田舎町へ出かけ、遠い祖国を思い出しながら作曲の筆をすすめていました。でも彼は決して後ろ向きな気持ちではなく、この見知らぬ土地で、例えば黒人霊歌のようなアメリカ独自の音楽と出会い、少なからず影響を受けます。
 そんな中で出来上がったのがこの交響曲第9番「新世界から」です。したがって、前述の黒人霊歌などの影響を受けつつも、やはりこの曲にはドヴォルジャークの祖国への熱い想いが凝縮されており、それが聴く側はもちろん演奏する側へもひしひしと伝わってきます。初演は1893年12月にニューヨークのカーネギー・ホールにて行われ、空前の大成功を収めました。そして本当は恥ずかしがり屋で決して人前には出たがらなかったドヴォルジャークも、この日ばかりは聴衆の拍手喝采が鳴り止まず、何度も客席からステージへ呼び出されたそうです。
 

第1楽章:アダージョ〜アレグロ・モルト 

 中低弦による、はるか故郷に思いを馳せているような静かな旋律で開始されます。やがて暗雲が立ち込めて稲妻が走り、アレグロの主部に入ります。ホルンやオーボエなどで奏されるシグナル風の旋律にクラリネットやファゴットが応え、楽器が増えてトロンボーンの先導でオーケストラ全体が大きくうねります。
 
 

第2楽章:ラルゴ

 アメリカ大陸の大平原に沈む夕日を想像いただければ、この楽章のイメージと概ね一致するのではないでしょうか?金管楽器のコラールに続いて、有名な息の長い旋律をイングリッシュホルンが奏します(日本では下校時刻や閉店時間、あるいはキャンプファイアーのテーマとしても有名ですよね)。この旋律には弟子により歌詞がつけられ「家路」という歌としても広く知られています。中間部はややテンポを上げ、木管楽器や弱音器を付けた弦楽器が、まるでマーラーの第7交響曲を先取りしたようないわば「夜の歌」の雰囲気を醸し出します。やがて空も白み始め、オーボエを中心とした鳥の声が聞こえてきます。
 
 

第3楽章:(スケルツォ)モルト・ヴィヴァーチェ 

 全4楽章の中でも特にボヘミア的な、強烈なリズムが特徴的なスケルツォ楽章です。トリオ(中間部)は民族色を一層強め、木管楽器やヴァイオリン群による跳ねるような活き活きとした舞曲となります。コーダでは第1楽章の主題が回帰し、この楽章の主題と融合しながら終わります。
 
 

第4楽章:(フィナーレ)アレグロ・コン・フォーコ

 低弦による序奏に続いて金管楽器がパワフルな第1主題を奏し、第1楽章同様、オーケストラが再びうねります。シンバルの一撃に続いて、クラリネットがしっとりとした第2主題を奏し始め、やがて今までの楽章で登場した様々なテーマが交錯し、終曲をドラマティックに盛り上げていきます。最後はオーケストラの総奏による余韻を管楽器が引き継いで次第に静寂の中へ消えていくという、斬新かつ印象的なエンディングで全曲を締めくくります。
 

 蛇足ですが、ドヴォルジャークはこの「新世界から」を作曲している最中、祖国に残してきた残り4人の子供もアメリカに呼び寄せることにしました。そして第4楽章のコーダを仕上げている時、長男の「パパ、着いたよ!」という声。感動的な家族の再会、久方ぶりに一家8人水入らずの生活。・・・でもそのせいでドヴォルジャークは最後のトロンボーンの旋律をスコアに記入するのをすっかり忘れてしまい、リハーサルで気付いて慌てて書き足したとか。
 

(1999.1.24)

 


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