ブルックナー:交響曲第7番ホ長調

A.Bruckner:Symphony No.7 in E-major  


 

「ブルックナーの作品なんて、やたら長いだけじゃないか。内容にも乏しいし、単なる見掛け倒しだ!」ブルックナーの9歳年下であるヨハネス・ブラームスはこう言い放ちました。

さて、これを読んで「ずいぶんひどいことを言うな」と思った人。あるいは「もっともだ、ブラームスさんよく言った!」と思った人。皆さんはどちらでしたか?このようにブルックナーの音楽には、今でも常に賛否両論があります。増して、彼の生きていた時代――彼が生まれた1824年はベートーヴェンの「第9」がようやく初演された年だから、まだまだブルックナー作品が理解を得るには程遠い時代だったのでしょう。

上部オーストリアのアンスフェルデンという小さな町で育ったブルックナーは、13歳のときに父親の死による一家離散を強いられ、地元の聖フロリアン修道院に寄宿することになりました。そのとき大聖堂に響くパイプオルガンの音を聴き、「自分は音楽家になる」という決意を固めたのです。やがて彼はリンツやウィーンでオルガン奏者としての地位を確立しつつ、並行して音楽理論を勉強し始めます。そして40歳を迎えたあたりから11曲の交響曲を含む諸作品を次々と世に出すものの、なかなか聴衆には受け入れられませんでした。

そんな彼の作品に共感を持ったのが、弱冠29歳の新進指揮者アルトゥール・ニキシュでした。ニキシュはブルックナーの弟子が完成して間もない交響曲第7番をピアノで弾いているのを聴き、これが後世に残る傑作であることを直感し、自らの手で初演させて欲しい旨申し出ます。そしてこの曲は1884年にライプツィヒにてニキシュ指揮の下に初演され、彼の予想通り熱狂的な大成功を収め、その後この曲は作曲者の存命中にヨーロッパ各地で30回以上も演奏されます。これはブルックナーの交響曲では他に例がなく、第7番はまさに文字通り、彼の出世作となったのです。

 

 

第1楽章 アレグロ・モデラート

 静かなさざ波のような弦楽器のトレモロに伴い、ホルンとチェロが自然倍音(ド・ミ・ソ)による伸びやかな第1主題を奏で、それがヴァイオリンと木管楽器に受け継がれます。夢見るような上昇音型の第2主題、ややおどけた感じの第3主題が交互に登場しますが、いずれも親しみやすい素直なメロディーラインであり、このあたりにニキシュの共感を得られた理由があるのかも知れませんね。

 

第2楽章 アダージォ 非常におごそかに、非常に遅く

4本のワグナーテューバを伴う低音楽器により瞑想的な第1主題が提示され、弦楽器全員による熱い旋律がそれに応えます。少し明るい光が差したような穏やかな第2主題と交錯しながら、やがてクライマックスを迎え、シンバルが高らかに鳴り響きます。

と、ブルックナーがここまで書いたところで、彼が尊敬していたワーグナーの訃報に接します。このあと急に曲想が暗くなり、葬送行進曲のように重苦しく消えるように終わるのは、そのためです。

 

第3楽章 スケルツォ 非常に速く

 機械のような規則的な動きを繰り返す低弦楽器に続き、トランペットが「ド」と「ソ」の2音の跳躍だけで成り立った主題を奏します。

中間部はテンポを落とし、しっとりした弦楽合奏がオーストリアの森の奥深くに誘います。

 

第4楽章 フィナーレ 感動して、しかし速過ぎずに

 1楽章と同じ弦楽器のトレモロに乗って、今度は青空のような爽やかな主題が奏されます。途中少し暗雲が立ち込める場面もありますが、最後は第1楽章のテーマが回帰し、名残を惜しむような息の長いコーダで全曲が締めくくられます。

 
 

(2002.10.6)


もとい