フランク:交響曲 二短調

C.Franck:Symphony in d-minor


 皆様、プログラム前半のドビュッシーはいかがでしたでしょうか。
 ドビュッシーはパリ音楽院で作曲を学んでいたころ、授業で課題を提出するたびに、先生から転調(曲の途中で調性を変えること)することを求められました。そしてまだ若かったドビュッシーは憤りの余り、陰で先生のことをこう言っていました。

 「何でも転調転調って…この『転調マシーン』め!」

この、当時教鞭を取っていた『転調マシーン先生』こそセザール・フランク(1822-1890)なのです。
 フランクはゲルマン系の両親の下、ネーデルランド連合王国(現ベルギー)のリエージュに生まれました。1837年にパリ音楽院へ入学してピアノと作曲を学び、ピアノは学内で次々と賞を獲得する一方、作曲の成績は今ひとつで、やがて音楽院を中退してしまいます。その後父親との確執からリエージュの実家を飛び出してパリに定住し、オルガニストとして演奏活動をする合間で、コツコツと作曲の筆を進めることになります。
 そして1872年に正式にフランス国籍を得たのを機に翌年パリ音楽院オルガン科の教授に就任すると、やがて音楽院公認のメソードとは一線を画した独自の手法で作曲を教え始めます。当然音楽院側から猛烈なバッシングや嫌がらせを受け、作曲家としての「お墨付き」は何一つ得られませんでしたが、それでも一途かつ真摯に音楽と対峙し、堅実で美しい曲を書き続けるフランクの姿に共感したダンディ、ショーソン、ピエルネ、デュパルク、ロパルツなどの弟子たちは彼を「親父(ペール)」フランクと慕っていました。やがて彼らは「フランキスト」と呼ばれるシンパ集団として、感覚的・革新的な作品が歓迎されていた当時のフランス音楽界へ、常に控えめで奥ゆかしかった「親父」の作品を世に出すべく、積極的に後押しをすることになります。
 この『交響曲二短調』は、もともと大器晩成型であったフランクの作品群の中でも特に最晩年に属する1888年(作曲者66歳)の作品で、彼の書いた最後の管弦楽曲であると同時に、(学生時代の習作を除けば)唯一の交響曲です。ある程度歳を重ね、満を持して発表した交響曲といえばブラームスの交響曲第1番(作曲者43歳)が真っ先に思い浮かびますが、着手はブラームス20代の頃まで遡ります。一方フランクは、長きにわたり弟子たちと意見交換を重ねた末、ようやく交響曲の創作について重い腰を上げたようです。
 この曲の最大の特徴は、オーケストラによって醸しだされる、あたかもパイプオルガンのような重厚かつ壮大な響きです。同時期に活躍し、フランク同様、自身オルガンの名手であったアントン・ブルックナーも、やはりオーケストラにオルガンの響きを追求していましたが、自然の中にゆったりと身を置いているような普遍的な響きを重んじたブルックナーに対し、フランクはより人間的で、随所に散りばめられたシンプルで優しい旋律が心の琴線に触れる音楽となっています。
 もうひとつの特徴は「循環主題(楽章を超えて共通のテーマを用いること)」で、これはベルリオーズ『幻想交響曲』のイデー・フィクス(平たくいうと全楽章に登場する「彼女のテーマ」)の流れを汲んだフランス近代の交響曲の常套手段ですが、フランクはそこからさらに一歩踏み込み、ワーグナーの楽劇の「ライトモティーフ(登場人物や場面にテーマを細かく設定し、音楽と物語を有機的に関連付ける手法)」を交響曲に採り入れることで、曲全体をよりわかりやすく構成し、引き締めています。なおこの曲は「フランキスト」のひとりで、色々と相談相手となりつつも若くして引退した愛弟子、アンリ・デュパルクにプレゼントされています。

1楽章 レント〜アレグロ・ノン・トロッポ 二短調
 冒頭で低弦楽器のユニゾンにより静かに開始される「D()-Cis(ド#-F(ファ)」という音型が、以降全曲を通して何度も登場する循環主題で、フランクの弟子ギイ・ロパルツはこのモチーフを「運命の動機」と呼んでいました。ベートーヴェンなら全曲を通して運命が扉を叩くところですが、この交響曲では控えめに不穏な空気を示唆するに留めているようです。この「運命の動機」は序奏部で2回、その後も繰り返し登場するのですが、実は聴く側に気付かせないように毎回調性を変えています。主部ではテンポが上がり、「運命の動機」に基づくエネルギッシュな第1主題と穏やかで慰めるような第2主題が交錯し、更なる目まぐるしい転調を伴いながら展開していきます。コーダは運命との激しい葛藤が続きつつも、J.S.バッハのオルガン曲よろしく、短調でありながら、最後は二長調の和音で堂々と終結します。

2楽章 アレグレット 変ロ短調
 弦楽器のピチカートとハープによる神秘的なハーモニーに導かれ、コールアングレ(イングリッシュホルン)の独奏でどことなく古風でうら哀しい第1主題(実は第1楽章冒頭の「運命の動機」から派生しています)が演奏されます。交響曲にコールアングレを導入するのは当時としては異例で、『幻想交響曲』のような田園風景の描写ならばともかく、この特徴的な音色のする楽器をシリアスな純音楽に使用したことを疑問視する声が多く、初演当時は批判の的となりました。

弦楽器のトレモロに導かれる中間部は、テンポこそ変わりませんが、音の動きを細かくして活性化することで、あたかもテンポアップしたような錯覚を受けます。やがてもとの主題が回帰し、全ての苦悩が救済されるような長調の和音で終わります。

3楽章 アレグロ・ノン・トロッポ 二長調
 ベートーヴェンの『運命』同様、「苦悩から歓喜へ」という定番どおりのフィナーレなのですが、ここはフランクらしく、勝利とかお祭り騒ぎといったオープンな感情ではなく、自分へのご褒美にも似た「内に向けられた喜び」がこの楽章を支配しています。 弦楽器による決然としたD(ニ)音の連打に続き、晴れやかで心躍るような第1主題が提示されます。金管楽器の穏やかなコラールによる第2主題は、喜びに満ちた「勝利宣言」のようにも聞こえます。途中、第2楽章のコールアングレの旋律が断片的に回想されますが、すぐに雲は途切れ、再び第1主題が戻り力強く鳴り響きます。やがて徐々に音量が下がり、神秘的な弱奏から始まる長大なコーダでは「運命の動機」がハープを伴い、光を放ちながら降臨します。そしてこれまで登場した様々な旋律を纏いつつ徐々にクライマックスを形成すると、最後は第3楽章冒頭の第1主題を高らかに奏し、燦然と輝きつつ全曲が結ばれます。

18892月の初演は、指揮者を探すも断られ続けた末やっと引き受けてくれたジュール・ガルサンが、転調だらけの譜面に戸惑うオーケストラを指揮して行われた結果、やはりうまくいきませんでした。聴衆側もオーケストラらしからぬ響きに違和感を覚え、当時フランス楽壇のエリートであったシャルル・グノーも、華やかさとは程遠いあまりに地味な響き、前述のコールアングレの「場違い感」等に対し、辛辣な駄目出しをしています。が、当のフランクはそんなことを気にする様子もなく、初演後「うん、思ったとおりの響きがしたよ」と話し、極めて満足気であったとのことです。 そして翌189011月、フランクはこの作品に対するグノーらの酷評に反論することもなく、この世を去ります。
 フランクの死後しばらく経って、初演の指揮を断ったひとりであるシャルル・ラムルーが考えを改めてこの交響曲を再演し、その成功をきっかけにフランクの作曲家としての評価は確固たるものとなりました。そして、かつてフランク先生を転調マシーン呼ばわりしていたドビュッシーも、その後の自身の評論のなかでこの交響曲を絶賛し、周囲へこう述懐していたそうです。

「親父、やっぱりすごいよ!」



(2019.2.2)
 


もとい