ドビュッシー:組曲『こどもの領分』
C.Debussy:"Children's Corner"Suite
クロード・ドビュッシー(1862〜1918)はドラマ「逃げ恥」の津崎平匡よろしく頭脳明晰で抜きん出た才能の持ち主であった一方、内向的で気難しい性格であったそうです。そのためか、彼のミステリアスな魅力に惹かれた女性たちとの恋愛や不倫沙汰が絶えず、ことさらプライベートではまさに波乱の人生を歩みました。
そんな中、ドビュッシーは1905年にエンマ・バルダックと大恋愛の末に結婚し、2人の間に1人娘クロード・エマ(愛称シュウシュウ)が生まれ、久しぶりに幸福で平穏な生活が訪れます。そんな中で作曲されたのが、ピアノのための『こどもの領分』全6曲です。彼の初期のピアノ曲(アラベスク、ベルガマスク組曲など)と同様、シンプルで平易な曲ではありますが、かわいい盛りの娘の様子を描いただけに、全曲にわたって娘への愛情溢れる(いわゆる親馬鹿?)優しい雰囲気が支配しています。組曲の初演と出版は1908年で、1911年にはアンドレ・カプレの手により本日演奏する管弦楽版が編曲され、ドビュッシー自身もこの版の指揮をした記録もあるですが、やはりピアノ原曲の持つアットホーム感を好んでいたためか、カプレに対しては「ちょっと華やか過ぎないか」と苦言を呈していたようです。
なおタイトルの『こどもの領分(Children’s Corner)』および各曲の標題は、妻エンマの英国趣味に合わせ、作曲者自身により英語により命名されています。
T グラドゥス・アド・パスナッスム博士 Doctor Gradus ad Parnassum
「グラドゥス・アド・パルナッスム」とは、イタリアの作曲家クレメンティ(Muzio Clementi,1752〜1832)による練習曲集の名称です。最初は張り切って練習を始めるものの、途中で飽きてきてテンポが急に落ちて、うわの空になってきます。その時聞こえてきた、お母さんの「ご飯よー!」の声。早く終わらせたい一心で急にスピードアップし、はい、おしまい!と意気揚々と練習を終わらせてしまいます。管弦楽版ではこのピアノの流麗な旋律をクラリネットが受け持ちます。
U 象の子守歌 Jumbo’s Lullaby
Jumbo(ジャンボ、もしくはユンボ)とは、娘シュウシュウがいつも手放さなかった象のぬいぐるみのことで、当時パリの動物園で人気者であったアフリカ象の名前に由来しています。冒頭のコントラバスによる朴訥とした旋律は、どことなく童謡『ぞうさん』(團伊玖磨作曲)を彷彿とさせます。余談ですが、フランスのとある重機メーカが、自社のパワーショベルを象に見立てて「Jumbo(ユンボ)」と名付けたのがきっかけで、この「ユンボ」がパワーショベルの一般名称としても我が国ですっかりお馴染みとなっています。
V 人形のセレナーデ Serenade of the Doll
かわいい人形に語りかけるシュウシュウの様子を描いた、ちょっとスペイン風のセレナーデ。ちなみにドビュッシーは上記のとおりの標題としていますが、文法的には”of”ではなく”for”が適当であるとの指摘もあります。
W 雪は踊っている The Snow is Dancing
シュウシュウが生まれた日は、深々と雪の降る日でした。静寂の中、雪が降り積もり、時折おこる風で舞い踊る雪の精の様子が描かれています。のちに坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」の音楽で、この曲を彷彿とさせるモチーフを用いています。
X 小さな羊飼い The Little Shepherd
これもシュウシュウが気に入っていた人形のひとつで、牧場の中で羊飼いが小さな角笛を吹いている情景を描写しています。哀愁の漂う単旋律のモノローグは、編曲者によってごく自然な形でオーボエ独奏へ割り振られています。
Y ゴリウォーグのケークウォーク Golliwogg’s Cakewalk
「ゴリウォーグ」は、当時シュウシュウが読んでいた絵本に登場する男の子の名前で、もしこの子に、やはり当時流行していたケークウォーク(アメリカ発祥の踊り)を踊らせたら…という曲です。多用されるジャズ風のごきげんなリズムは、ラヴェルを始めとする次世代の作曲家に少なからず影響を与えています。中間部で繰り広げられる茶番劇では、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を引用した濃厚な恋愛シーンを演じますが…観客の反応は笑いばかり。やがて元のジャズ風の踊りが再現して終わります。
(2017.01.14)