ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
C.Debussy:"Prelude a l'apres-midi d'un faune"
みなさん、フランスの曲はお好きですか?今回のNフィルは、フランスの作曲家の作品でプログラムしてみました。フランスもの、といえば真っ先に挙がる作曲家はドビュッシー。ドビュッシーといえば「牧神」。というわけで、本日の演奏会はこの曲で幕を開けることになりました。
ドビュッシーは同時代のフランスの詩人ステファン・マラルメの「牧神の午後」という長大な詩にインスピレーションを受け、前奏曲・間奏曲・終曲の3部構成からなる交響詩を構想しました。そしてその第1楽章がこの曲です。「間奏曲」「終曲」は存在しないので当初の予定からすれば未完成作品なのですが、この「前奏曲」でマラルメの詩の全てを語ってしまったため、結果オーライで残りの2曲をとりやめてしまったと言われています。
初演は1894年。その頃はまだサン=サーンスやヴェルディ、ブラームスあるいはJ.シュトラウス2世といった面々が、それぞれまだ活躍中でした。そしてこの「牧神」、上記の4人だけではなく、過去に存在した作品のどれにも似ていません。彼のスタイル、すなわち従来のメロディー主導型からハーモニー主導型、オーケストラも迫力より色彩、総奏よりアンサンブルを重視し、イメージ先行で輪郭のはっきりしない手法は、当時の音楽としてはタブーでした。しかし、ドビュッシーは十分に説得力のある作品として仕上げており、後世の作曲家(バルトーク、武満徹等)に影響を与えています。
なんでこのぼやけた作品が傑作なのか?まだ疑問に思われる方も多いと思います。それでは、以下、マラルメの詩の要約をお読み下さい。
「暑くけだるい夏の日の午後。森影の草むらにまどろんでいる牧神が目を覚ます。草いきれの中、頬を撫でて行く風が心地よいが、彼はまだ夢見心地である。ついさっき沼のほとりで手折った葦で笛を作る。そして吹きながら、水辺で水浴びをしていた妖精のことを思い出す。白い肌に光が反射して、まぶしい。思わず抱きしめたい衝動にかられる…もう一度、あの時のように…彼女の姿を思い浮かべ、抱きしめようと手を伸ばす。しかし彼女の幻影は消える。諦めきれない彼は、さらに空想を広げる。そして遂に、愛の女神ヴィーナスを捕らえる。抱擁!官能の嵐!もうろうとした歓び…やがて幻影は消え、牧神は再び目を覚ます。辺りに音はなく草いきれだけが静かに彼を包み込む。茫然と広がる倦怠感の中、何時の間にか彼はまたまどろみ始めている…」
この詩の雰囲気に「これしかない」と思うくらい合う音楽とは、…もう、おわかりですよね!
(1998.02.01)