ビゼー:交響曲ハ長調(第1番)

G.Bizet:Symphonie en Ut majour


 おそらく我が国で最も馴染みのあるフランスの作曲家のひとり、ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)。声楽教師の父、ピアニストの母の下で英才教育を受け、わずか10歳足らずでパリ音楽院入学後、フランスの人気作曲家の登竜門とも言える「ローマ大賞」を立て続けに受賞、官費にてローマへ留学後、パリを拠点に、主に『真珠採り』『美しいパースの娘』といったオペラ作品や、『アルルの女』のような劇音楽などの舞台作品を中心に作曲活動を行い、ヒットを飛ばし続けます。そして彼は最後のオペラ『カルメン』の初演からわずか3ヶ月後、37歳の若さでこの世を去ります。
 そんな夭折の天才ビゼーが、実はパリ音楽院生時代に交響曲を書いていた…ということは、当時は誰も知るところではありませんでした。ドイツ・オーストリア系の作曲家と違い、フランスは作曲家としてもっとも重要かつ世間的に評価の高いジャンルは交響曲ではなく、オペラだったからです。そのためオペラや劇音楽、単独の管弦楽曲は演奏されても、交響曲はまったく演奏するチャンスに恵まれず、ビゼーもこの曲を顧みることもなく、久しく忘れ去られていました。そして時が流れて1933年、パリ音楽院の図書館に埋もれていた資料の中から、演奏されずにずっと眠り続けていたビゼーの交響曲の草稿が発見され、一大ニュースとなりました。それから2年後の19352月に、名指揮者フェリックス・ワインガルトナーの指揮でバーゼル(スイス)にてついにこの交響曲ハ長調が初演されます。
 とはいえ、やはりこの交響曲はハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ロッシーニといった「大先輩」を手本とした17歳の学生の習作であり、作曲技術の未熟さゆえの演奏不可能な箇所や自筆譜の間違いの疑い等、演奏されていなかったがゆえの問題点も随所にあります。しかしそういったマイナス面を差し引いてもなお、全体を支配するラテン系の明るく快活な響きやスピード感、旋律の歌い回しの巧みさ等、若きビゼーの才能が遺憾なく発揮されており、現在では『カルメン』『アルルの女』に次いで人気のある曲となっています。

第1楽章:アレグロ・ヴィーヴォ ハ長調

 堅実なソナタ形式で書かれた楽章で、序奏なしでいきなりハ長調の力強い和音に続き、2オクターブ以上の広い音域を縦横に跳ねまわるようなユニゾンによる第1主題、木管楽器の刻みにのったハープのような弦の細かいピチカートに続き、伸びやかな第2主題がオーボエに現れます。古典派交響曲の定番である提示部の「繰り返し」も存在します。展開部はホルンに誘われて、今までの主題を基にした自由奔放な転調が行われた後に再現部となり、そしてコーダで終結します。

第2楽章:アダージョ イ短調

 オペラのアリアを彷彿とさせる(実際ビゼーはこの楽章の一部をオペラに転用しています)、自由な三部形式による抒情的な緩徐楽章です。序奏に続き、オーボエがゆっくりで息の長い旋律を歌い始め、他の木管楽器がその旋律を引き継ぎます。地中海に浮かぶ島を包む柔らかい陽射しのような旋律がヴァイオリンに現れて次第に音量を増し、低弦楽器から始まる穏やかで歯切れのよいフガートから徐々にもとのオーボエの旋律に戻り、静かに終わります。

第3楽章:スケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ ト長調

 これもまた、定石どおりのスケルツォ楽章です。第1楽章を下敷きとした分散和音のユニゾンによる快活な主題と、ヴァイオリンによる伸びやかな主題が対比されます。中間部はハ長調に転じ、中低弦の5度の空和音(「ド」と「ソ」)に乗って、のどかな田舎風の舞曲が展開します。そして主部をもう一度演奏してFine(終わり)となります。

第4楽章:フィナーレ:アレグロ・ヴィヴァーチェ ハ長調

 伝統的なソナタ形式を守りつつも、軽快で奔放なロッシーニ風の終楽章です。弦楽器の無窮動のような細かい動きの第1主題、絶妙な強弱の変化をつけた木管楽器による行進曲風のファンファーレを経て、弦楽器に現れる明朗な第2主題。その旋律の裏にぴたりと付けた対旋律は、晩年のシューベルトがしばしば用いた対位法的処理の影響と思われます。展開部も再現部も速度を落すことなく、曲の最後まで一気に駆け抜けます。

…ちなみにビゼーはその後、交響曲第2番・第3番を書いたとの記録が残っていますが、残念ながら破棄された、もしくは紛失のため現存していません。この交響曲を「交響曲第1番」と表記することが少なくないのは、そのためです。おそらくビゼー本人は気にいらなかったから破棄したのでしょうけど、これだけ交響曲第1番が美しいのであれば、第2番・第3番もちょっと聴いてみたいなと思うのは私だけでしょうか。


(2016.6.18)
 


もとい