リヒャルト・シュトラウス:4つの最後の歌

R.Strauss:Four Last Songs


ドイツ・ロマン派最後の人と言われているリヒャルト・シュトラウス(18641949)。ロマン派の特徴はかつての古典派(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン他)が形式や調性関係等のルールに則った美しさを求めていたのに対し、ロマン派はそれらの「ルール」を躊躇なく逸脱した大胆な表現も辞さない、それゆえに聴き手の心を揺り動かす幅がより広いことにあります。

 シュトラウスは生涯を通して本業である指揮者としての活動の傍ら、様々なジャンルの曲を精力的に作曲していましたが、例えば交響詩ばかり書いていた時期、オペラに力を注いでいた時期など、書いたジャンルよって作曲時期に大きな隔たりがあります。その中でも時折まるで故郷へ里帰りするかのように、歌曲については少しずつではありますが彼の生涯全般にわたり作品が散りばめられています。

 第2次大戦が終わり平和の訪れた194510月以降、シュトラウスは夫人とともにスイスの地方都市や保養地などを点々とし、穏やかな環境の下、弦楽や管楽のアンサンブル曲や各種管楽器のための協奏曲など、晩年の一連の作品の筆を進めていました。その際に、ドイツの作家で詩人のヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(17881857)の『夕映えに』という詩に出会って感銘を受け、やがて19485月にこの『夕映えに』をテキストとした歌曲が完成します。これに続き、当時ノーベル文学賞を受賞し注目を浴びていたドイツの作家ヘルマン・ヘッセ(18771962)の詩集にインスピレーションを得て、同年7月から9月にかけて『春』『眠りにつく時』『9月』の3つの歌曲も相次いで作曲されました。

ちなみにこの4曲はそれぞれ単独でシュトラウスの友人へばらばらに献呈されており、『4つの最後の歌』として作曲者自身が編纂したわけではありません(一説にはヘッセの詩による歌曲をもう1曲加えた全5曲構想で、それゆえに未完成作品であるという見方もある)。また演奏の曲順についても特に指定はなく、本日の演奏順はシュトラウスの友人エルンスト・ロートにより出版時に付けられた順番に従っています。しかし全4曲は最晩年のシュトラウスが過去の思い出や郷愁、そして間近に迫る死への思いを連想させる内容の詩や、それを包み込む穏やかで優しい音楽で統一されており、どの組み合わせで演奏しても聴き手への心へ迫る曲であることに変わりはありません。初演はシュトラウスの死の翌年の1950522日にロンドンにて、キルステン・フラグスタートのソプラノ独唱、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団により行われました。

1曲 『春(Fruhling)』(詩:ヘルマン・ヘッセ、1948720日作曲)
2曲『9月(September)』(詩:ヘルマン・ヘッセ、1948920日作曲)
3曲『眠りにつくとき(Beim Schlafengehen)』
(詩:ヘルマン・ヘッセ、194884日作曲)
4曲『夕映えに(Im Abendrot)』(詩:ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ、194856日作曲)

リヒャルト・シュトラウスはこの4曲を書き上げた後、前述のヘッセの詩による歌曲をもう1曲、数小節だけ手がけたと伝えられていますが、194998日、これら一連の曲の演奏を耳にすることなく、リヒャルト・シュトラウスはこの世を去ります。そしてこの日をもって、シューベルトやシューマンに始まり18世紀末から20世紀まで脈々と続いたロマン派の流れは、ふっつりと終わりを告げました。

(2012.12.24)




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