リヒャルト・シュトラウス:13管楽器のためのセレナード 変ホ長調 Op.7

R..Strauss:Serenade for 13 Wind-Instruments in E-flat major Op.7 


ドイツ・ロマン派最後の人と言われているリヒャルト・シュトラウス(18641949)。ミュンヘン宮廷管弦楽団のホルン奏者であった父はいわゆる「ブラームス派」(注:当時の音楽界はワーグナーとブラームスのどちらの音楽を支持するかで対立していた)で、新進指揮者の気をてらった指示は一切受け入れないような頑固で保守的な人であったと言われています。そういう父親の影響もあり、初期のリヒャルト・シュトラウスはドイツ古典派からシューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスといった流れを汲んだ堅実な作品を多数遺しています。
 この『管楽器のためのセレナード』は1882年に作曲されています。この年はワーグナー最後の楽劇『パルシファル』が初演されており、シュトラウスもこういった前衛的な音楽に接する機会もなかったわけではないのですが、やはりどちらかというとブラームス寄りの地味な作風であることは否めません。しかしまだ18歳の少年の「習作」でありながら、翌年初演されたブラームスの交響曲第3番と並べても見劣りしない完成度の高さは、誰もが認めざるをえない事実でした。
 この曲は1882年にドレスデンで初演され、すぐさま指揮者ハンス・フォン・ビューローの目に止まり、翌1883年にビューロー指揮マイニンゲン宮廷管弦楽団にて各地で演奏され、作曲家リヒャルト・シュトラウスの名前がヨーロッパ中に認知されるきっかけとなりました。さらにこれを機にビューローからマイニンゲン宮廷管弦楽団の副指揮者として呼ばれ、やがてビューローの後任として正指揮者に就任します。つまりこの『管楽器のためのセレナード』は作曲家・指揮者として後世に名を遺したリヒャルト・シュトラウスの出発点であり、かつ出世作なのです。

曲はアンダンテの単一楽章、明確なソナタ形式で書かれています。冒頭のオーボエによる第1主題に各楽器が応答し、ホルンのシグナルをきっかけにした短いブリッジを経てクラリネットとホルンによる第2主題、そこにフルートによるオブリガート(対旋律)が重なり、音の綾を成しながら前半の頂点を築きます。展開部は再びオーボエのぽつりぽつりと語るようなソロに始まり、少し憂鬱な短調に転じますが、徐々に元気を取り戻して再び大きな頂点を作ったのち、冒頭の第1主題がホルンに回帰し再現部となります。コーダはクラリネットとフルートによる名残を惜しむような主題から徐々に潮が引くようにフェードアウトし、最後はフルートのソロを伴う最弱奏で、静かに曲が終わります。

(2013.8.3)



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