ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」

L.v.Beethoven:Symphony No.6 in F-major Op.68 "Pastoral"


 ベートーヴェン−−こんな有名な人、今更何も説明する必要はないでしょう。ただ一つ言えることは、あんな風に目を閉じて楽想を練りながら歩いたら、今の世ならば交通事故に遭うのは必至だということだけです。
 さておき、彼の6番目(発表したのは5番目)のシンフォニーであるこの曲は、田舎が大好きなベートーヴェンが自然の中でそうやって歩きながら得たインスピレーションで埋め尽くされています。前作「運命」とは打って変わってリラックスした雰囲気があるのも、この「田園」が彼の本当に表現したかったテーマであるということなのでしょう。
 そしてこの曲はいろいろな意味において、音楽史上非常に重要な位置を占めることになります。まず「表題」のついた交響曲であるということ。つまり第2楽章コーダの鳥の声や第4楽章の嵐など、かなり生々しい描写があり、のちのベルリオーズの「幻想」やリストの交響詩の先駆をなしています。ベートーヴェン自身は「絵画というよりも感情表現」と言っていますが、十分リアルですよね。(R.シュトラウスだったら風音機や雷音機が登場するところでしょうな)
 その表現手段としての楽器の用法は、ユニークさが認められるものとなっています。編成は決して小さくはないのですが、例えばティンパニとピッコロは「嵐」のシーンだけの要員。トランペットとトロンボーンも後半登場しますが、特に目立つこともなく、響きに厚みを加えるだけのいわば「影の立役者」に徹します。また第2楽章では2台のチェロは弱音器を付け、地味ながら独立した旋律を奏でます。つまり、必要な楽器を全て動員しつつも必要最小限にしか使わない、極めて贅沢な交響曲なのです。
 特筆すべきことがもう一つあります。この曲の第5楽章「牧人の歌、嵐のあとの喜びと感謝」。この楽章は曲が進むにつれて敬虔さが増し、最後は「祈り」のコラールに至るわけですが、この部分のスケッチの段階では「神よ、われら御身に謝す・・・・」といった歌詞が書き込まれ、他に挿入すべき箇所が無いか模索した形跡が見られるのです。即ちベートーヴェンは当初この終曲に合唱を加えることを考えていた、ということになります。最終的には純器楽作品となったものの、「合唱付き」交響曲の構想は、実はこの頃からベートーヴェンの脳裏にあったんですね。

(1991.6.30)


もとい