連続オンラインドラマ

それぞれの『ハーモニー』       By 狂箪笥(^^)



第7話「告別」


 遠藤の店にて。獏が独りで店に来て、バーボンのロックを飲んでいる。
「俺さあ・・・・、結構執念深いのかもしれないぜ」
「え、どうしてですか」
「はは、意外だろ。もっと、次から次へと心移りする方だと思っただろう」
「うーん、そうかも知れないっすね。でもどうしたんですか」
「まあな」
「ごまかさないで下さいよ。千秋さんですか?」
「まあな」
「先輩、千秋さんは今青木さんと・・・・」
「そうじゃねえよ。学と千秋の関係なんてどうでもいいのさ」
「どういう事です?」
「だからよ、俺一人で完結した話なんだよ。自分は千秋の、本当の幸せを望んでいる。俺が
 直接関わらなくても、あいつが幸せならばそれでいい。そう思っているのさ」
「はあ・・・・」
その時、一人の女性が店に入ってくる。貴子であった。
「ふふ・・・・今晩わ」
「あれ、金井さんいらっしゃい」
「金井、どうしたんだ?」
「・・・・何となくね、飲みたいの。でも、どうせ飲むなら、誰か知ってる人が居たほうが
 いいじゃない?じゃあ、私は水割り」
「はいはい」
「でもさ、何か、こういうのって久しぶり。少人数でゆっくり飲むのって」
「だね。金井はいつも誰かと2人・・・・」
「しっ、先輩!」遠藤がさえぎった。が、貴子は特に動揺もせずに言った。
「でも、本当にそうよね。いつも、誰かと2人でいるか、大人数の真ん中あたりで騒ぎに参
 加してるか。うん、獏君するどいね」
「ごめんよ、変なこと言って」「それはいいの。それよりもさ、誰かに聞いて欲しい事があ
 ってね」
「誰かって?」
「誰でもいいのよ。あ、でもこんなこと行ったら獏君に失礼ね」
「で、何?」
「私ね、次回の演奏会降りたいの」
「ええっ!どういうこと?」さすがの獏もびっくりした。フルートのパートトップである貴
子が演奏会に出ないということは一大事である。
「うん、何かね、あの指揮者、どうも好きになれないの」
「というけど、今回のプログラムはさ、どの曲を取ってもフルートの目立つ曲ばかりじゃん
 ・・・それに」
「ごめん、話を聞いてね」
「うん悪かった」
「あのさ、あいつ、ここぞって時にやたらメノ・モッソ(テンポをゆっくりする)にするで
 しょう。あれって、私の感情と逆なのよね。だって普通はさ、気分が乗ってきたら自然に
 早くなってくるじゃない」
「確かにね。でもあれはあれでいいんじゃないかな。俺は何となくわかるような気がするけ
 ど」
「わかる?どうして?あれはわざと自分の感情に逆らっているのよ、自分の感情を抑制する
 ことに喜びを感じているのよ、きっと」
「まあ、そうなのかも知れませんね」と遠藤。
「でも、何も降りなくったっていいじゃん。折角のプログラムなんだからさ」
「いいの、止めないで」
「なら話すんじゃねえよ!」
「うん、でも聞いてほしかったから。何だか、結構すっきりしたわ」
「・・・・勝手にしろ・・・・」
「まあ、先輩、いいじゃないですか」
貴子はグラスの中のウィスキーを一気に空けると、言った。
「そうだ!ねえ、今度の演奏会、みんなでボイコットしない?」
「何でだよ!?自分一人ならともかく、他人(ひと)まで巻き込むなよ!」
「いいじゃない。例えばさ、トニカ(主和音)を出そうとしたら『ミ』を出す人がだぁれも
 居なくて、『ド』と『ソ』だけが空虚に響く、なんて傑作よね」
「あるわけねえだろ、そんなこと」
「でもさ、獏君、考えてみて。オケってのはね、たまたま『指揮者』っていう人の言うこと
 には逆らえないっていう不文律があるから、曲がまとまるんじゃない。例えば、もし、
 『フルートさん、ここはこういう風に』って言われてもさ、『やだ!』なんて言える訳な
 いじゃない。仮に本当はそう思ったとしてもよ。」
「どうだかなあ」
「だったら、手段ははただひとつよ。ストライキ!それもさ、集改札ストをやるのよ。99
 ーセントは真面目で、かんじんかなめの部分が抜けているってのがポイントね。ここらで
 ひとつ思い切ってさ、私たちの主義主張をさ、指揮者にぶつけない?」
「そんなことしたら、インペクの立場がないよ」
「だーかーらーさー!」ばしっ、と獏の肩を貴子が叩く。
「コンサートマスター殿!あなたがしっかりなさいよ。音を出すのは私たちじゃない。敵は
 ただ手を振り回してるだけよ。何がマエストロよ、何が再現芸術家よ。あなたがみんなに
 『せーの!』で合図をすればあの人達は失業よ。指揮者があなたを差し置いて、頭越しに
 それぞれの管楽器奏者に注文を並べるなんて、ずいぶんな話じゃなくて?でしょ?」
貴子の言葉の半分は聞き流せたが、「酒の勢い」という表皮を取り去ったあとの半分は正論
だった。獏は、敢えて何も言わなかった。
 貴子の音楽論は続いた。

 泥酔した貴子をタクシーに乗せたあと。
「先輩、今日貴子さん何かあったんすか?」
「さあね。まあ、何かあったんだろうな。それにしても、なんであいつ降りたがっているん
 だろう?しかも、あんな訳のわからない理由で」
「いえ、それは決まってるじゃないですか。青木先輩と気まずいからですよ。もう一つは、
 降りるということでインペクである青木先輩を困らせる意味もあると思いますよ」
「そうか・・・・困ったものだ。とりあえず学に連絡取ろう」
「まあ、その心配はないでしょう」
「?」
「・・・・飽くまでも僕の勘ですけどね、」遠藤が前置きして言った。
「何だかんだ言いながらも、最終的には降りないんじゃないですか」


 学の職場にて。日報を作成していると、いつものようにこのみがお茶を入れて持ってきた。
「あ、どうもありがとう」
受け取った直後、湯飲みと茶托の間にメモが挟んであるのに気がついた。
「よろしくお願いしますっ」
このみはそれだけ言うと、学の反応を見たくないかのように、ペコリと頭を下げると足早に
去った。
メモには、こう書いてあった。

<6時に、1階玄関でお待ちしています Konomi>

おいおい、と思い、理由を正そうとしてこのみを探したが、姿が見当たらない。それ以上、
この事に関わる余裕は無かった。学は仕事に戻った。
 学の会社の終業時間は5時30分である。たとえ残業の無い日でも、彼は一応の常として、
周りの人がある程度帰るのを見計らってから帰る支度をすることにしている。
 机上の書類の整理をしているうちに、6時を10分ほど過ぎてしまった。
 このみの姿はとうの昔にない。
 そういえば?学はこのみからのメモの事を思い出した。しかし、どういう用件で、わざわ
ざ自分を呼び出したのかわからない。行こうかどうか一瞬迷い、行くことにした。1階の玄
関は入退社時には必ず通るわけで、つまりはそれから逃げられないことぐらいすぐ気がつく。
手早く机の上の小物を引き出しにしまうと、学はオフィスを出てエレベーターで1階へ向か
った。
 玄関ロビーにこのみは居なかった。
 その頃このみは上りエレベーターで、学がつい今しがたまで仕事をしていたフロアに着い
たところであった。フロアに人の気配が全く無いのを確認し、小さくため息をつくと、この
みはエレベーターホールへ戻り、ボタンを押した。扉が開き、顔を俯けたまま乗ろうとした
時、このみの肩をポンと叩く人がいた。
 学が、エレベーターから降りてきたのであった。

 広いフロアには、学とこのみの2人きりである。
「・・・・学さん」
「どうしたんだ、一体」
学は、このみから下の名前で呼ばれたことに少々動揺した。
「お、お忙しいところすいません」
「いや、いいけどさ」
「いえ、あのおー・・」
「落ち着いて」
「実はー、あのですね、昨日広田部長が人事の小島課長と電話で話しているのを小耳に挟
 んだんです」
「なぜ相手が小島課長だってわかったんだ?」
「私が電話を取り次いだんです。で、それが超長電話で、4時のお茶タイムになっても喋
 りっぱなしで、とりあえずコーヒーは部長に持っていったんですけど・・・・」
「で?」
「で、部長も話しにくそうにぼそぼそ喋ってるんですけど、やっぱり聞き耳立てたくもな
 るじゃないですかあ、そしたらですね、学先輩、すごいんです」
「何が?」
「・・・・超大抜擢!」
「だから誰が?」
「学先輩ですよ、学先輩が特昇するんですよ、今度の2月!」
「え?俺が?」
そんな話、学は勿論まだ聞いていない。胸中、正直のところ半信半疑であった。
「おめでとうございます、先輩、大好き!」
いきなりこのみは学の左腕に飛びついた。学は一瞬狼狽したが、誰も見ている人は居ない。
特に他人の目を気にする必要もなく、このみのなすがままにさせた。学の腕にすがったま
ま、このみはややトーンダウンして続けた。
「昇格してね、今度は海外の現地法人の課長代理ですって」
「・・・・そうか・・・・」
学は飽くまでも冷静を装った。
「私、英語には自信あるんです。こう見えても英検準1級ですよ」
「・・・・へえ、すごいな」
「だから、転勤する前に、一度だけでいいんです、一緒に過ごしたいんです、学さんと」
何で『だから』なのか、学には理解できなかった。
「情報提供のお礼、とは言いませんから!」
「・・・・・言ってるじゃねえかよ」
「お願いです」
このみは学をじっと見つめた。学は、このみの挑んだ直球勝負に、負けを悟った。
「いつ?」
「私はいつでも」
このみは学の腕の中で、満面の微笑を浮かべた。


 千秋は、シュトラウスのスコアを買いに音楽専門店の楽譜売り場に行った。
「えっと、国内版はないのよね。一番安いのはドーバーだけど、大き過ぎるよね。緑のや
 つはページがばらばらになっちゃうし、やっぱ黄色い本屋のかなあ・・・」
その時千秋は、ぽん、と頭をたたかれ、思わず首を竦めた。驚いて振り返ると獏だった。
「きゃっ」
「よう、千秋ちゃん」
「獏さん!ああ、びっくりした」
「仕事の帰り?」
「はい、そうなんですよお。『ティル』でどうしてもついて行けないところがあったんで、
 やっぱりスコアが必要かなと・・・・」
「こないだつかまった、セカンドとの掛け合いのところ?」
「わかります?・・・まあ、そんなところです」
「そうか、はっはっは・・・・じゃあごめん、俺は会社に戻るから」
「あ、失礼しまーす」
千秋はふっと一息つくと、目新しい、黄色いスコアを手にしてレジに向かった。

 店を出ると、もう外はすっかり日が暮れて、歓楽街のネオンが眩しかった。
「そりゃそうよね、もう7時よね」
さて、今晩は何を食べようかな、と思いを巡らせ始めた時であった。千秋は驚きのあまり
声が出なかった。
「あっ、あれって」
ふと見た、道路の反対側である。スーツの色と歩きかたで、明らかに学だとわかる。小柄
で若い女の子が寄り添っていた・・・・


 獏の出演する「ペトルーシュカ」の演奏会当日。
 待ち合わせ場所の喫茶店で、ミルクティーを飲んでいる千秋。しかし、飲み終わっても
依然として学は現れない。珍しく気分の落ちつかない千秋は、思わずミルクティーをおか
わりしてしまった。
 2杯目のミルクティーが運ばれてきた直後に、学が店の自動ドアを開け慌ただしく入っ
てきた。
「ごめんごめん、待たせた」
「うん、待った」
昨日よく眠れず睡眠不足気味の千秋は、ほんの少しだけふてくされて応えた。
「実はさ、ちょっと大きい契約が取れそうだったんだ。それでちょっとね」
「えー、良かったじゃないですか」
「それでさ、特に大きい会社じゃないんだけど、一応そこのキーマンに会えたんだ。そう
 したら『おう、ちょうどよかった』なんてさ、瓢箪から駒みたいなすごくいい話を持っ
 てきてさ、それが午後2時ぐらいだったんだ。すぐ戻って、今度は課長を連れてって、
 今度は課長と意気投合して、・・・・こりゃ絶対上手く行く!」
「おめでとっ」
「いや、まだ決まったわけじゃないけどさ。でも久々に、営業やっててよかったって思っ
 たね」
「そう、良かった」
千秋はこの時、あれ?と思った。学が大きな契約が取れそうであんなに喜んでいるのに、
自分はちっとも嬉しくない。あれほど大好きな学であるのに。 千秋の脳裏には、小柄で
若い女の子に寄り添われて歩いている学の姿があった。
 でも、まあ、いいか。とりあえずこの場は寝不足のせいにしておこう。千秋はそれ以上
追究せず、席を立つ学に付いていった。

 前半の「ロメオとジュリエット」が終わり、休憩に入った。
「コルネット、いまいち音程が無かったかもね」
「でも、良かったあ!」
「ごきげんなプログラムだぜ。プロコにストラヴィンスキーなんて」
「このあとに『ペトルーシュカ』なんて、よくできるよねえ」
「難しい曲を2つもね」
「というよりも、よく体力持つよね。私、絶対に無理」
「でもこの2人の作曲家だったらさ、もっといいプログラミングできると思わない?」
「そうですよね。例えば、うーん、『ピーターと狼』と『火の鳥』とか」
「そう来るか。じゃあ俺は、『プロ5』『春祭』かな」
「そしたら可愛く、古典交響曲・『ダンバートンオークス』・『プルチネルラ』!」
「どこが?」
「あ、これ最高!『青春』と『ナイチンゲール』」
「まだあるぜ。『道化師』と『洪水』」
「これどう?『放蕩息子』と『道楽者のなりゆき』」
「いいのが浮かんだ。『イワン雷帝』と『エディプス王』」
「やりたくなーい!!」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・?」
「なあ、千秋」学は声のトーンを落とした。
「・・・・え?」
「『シンデレラ』と『結婚』」
「・・・・・・」
「だめ?」
「・・・・・」
「こんどの4月にサンフランシスコの現地法人に行くんだ。一緒に来てくれないか」
「・・・・・」
「いいだろ」
「・・・・オケやめるの?」
「向こうでまたやればいい。続けようぜ」
「・・・・」
「考えておいてくれよ」
「・・・・・」
「じゃあ、タバコ吸ってくる」
学は席を立った。千秋はポツリと呟いた。
「今日のプログラムって、皮肉。どっちも悲劇・・・・」

 休憩後、学が席に戻る。千秋の姿は無かった。チューニングが始まった。やはり戻ってこ
ない。チューニングの音が止み、指揮者が登場。まだ現れない。おかしい?
「ペトルーシュカ」冒頭の木管の喧騒が始まる・・・・

 とうとうペトルーシュカは死んでしまった。ペトルーシュカの亡霊も、雪の中に消えてい
った。静寂。 そして余韻もそこそこに、大きな拍手。やはり千秋は居ない。
 これはさすがにおかしい。学は拍手も早くに切り上げ、席を立った。
 ひょっとしてトイレにでも行って、戻るタイミングを逃したのかも。ばつが悪そうにホワ
イエに立っているかも知れない。もしそうだとしたら、一寸とからかってやってもいいか。
 しかし、千秋は居なかった。学の顔から血の気が引いた。
 まさか?嘘だろ?
 演奏会が終わり、聴衆が帰り始めると、ホワイエは「ペトルーシュカ」の冒頭同様の喧騒
で包まれた。学は、その中に千秋の姿を捜し続ける。どこにも居ない。
 聴衆はやがて皆帰ってしまい、ホールの前には学一人取り残された。
 平服に着替えた獏が楽屋口から出てきた。
「やあ、今日はどうもありがとう。お蔭様で何とか」
「・・・・・・・・」学は何も応えない。
「あれ?千秋ちゃんと一緒じゃなかったの・・・・」
獏は発言したあとで、異変が起きたことに気づいた。学は答えた。
「・・・・うん・・・・さっきまでは・・・・」
時計が止まった瞬間のような沈黙が、さらにしばらく続く・・・・


(to be continued....)




もとい