連続オンラインドラマ

それぞれの『ハーモニー』       By 狂箪笥(^^)



第6話「花火」

 

 ブラームス、シュトラウス、ドビュッシー、そしてオネゲルのための練習合宿が始まった。
学の車には、家が近いということで千秋が乗って行くことになった。因みに貴子は、今回の
合宿は学校行事のため不参加とのことである。
 約束の8時半に、待ち合わせ場所の駅前広場に学の車が到着。
「おはよう、お待たせ!」
「おっはようございまーす!」千秋が車に乗り込む。
「待った?」
「いえ、今来たばかりです。それよりも青木さん、お弁当作ったんですよ、良かったら食べ
 ていただけませんか?」
「へえ、そいつはご馳走さん。朝強いの?」
「強くないですけど、いつも毎朝早いから。8時には銀行に着いてますよ」
「そう、大変だね。でも眠くないの?俺なんか8時45分位に出社して、それでも30分は
 寝ぼけっ放しだよ」
「そりゃ眠いには眠いけどね、でも今日は元気です、ほら」いち、に、と腕を屈伸する。
「じゃあ、行こうか」
「しゅっぱーつ!」
 国立府中インターから乗った中央高速は、意外と空いていた。快適なドライブである。本
 当は談合坂で休むつもりだったが、あまりの車の流れの良さに、思わず大月ジャンクショ
 ンの先の谷村まで行き、初めてそこで休憩した。
 はっきり言って何の変哲もない単なる山中のパーキングエリアであるが、掲示板の片隅に
地名の由来を示す一文が記されている。
「ほら、山と山の間って、『谷』っていうんですね」
「当たり前じゃないか」コーラを差し出しながら学が応えた。
「それでね、タニムラって、本当に『谷』があるからなんですよ」
「ヤムラって読むんだよ」
「あ、そうなんですか、へへっ」
「谷があってそんなに嬉しい?」
「うん。何かいいじゃないですか。人生山あり谷あり・・・なんてね、全然関係ないか、あ
 はは」
「そうかなあ」
 さらに車は快調に進んだ。河口湖のインターを下りても車は比較的少なく、暫く直進した
のち、河口湖大橋の手前で学は大きくハンドルを切った。目の前にある橋を渡るとばかり思
っていた千秋は、期待が外れ、おあずけにも似た心境になった。
「あれ?学さん、橋渡らないんですか?」
「早く着き過ぎた。時間があるから、ちょっと寄り道してからメシにしようよ」
「賛成!」
 行ったところは湖のほとりの遊覧船乗り場。それほど人は混んでいない。
「わあ、何だか旅行しているみたいですね」
「そうだね」
「ねえ学さん、あの遊覧船って、白鳥の形してますよね。あの首のところって乗れないんで
 すか?」
「あのなあ、乗れるわけねえだろ」
「乗りたいなあ、何とかして下さい」
「おまえ、歳のわりに子供っぽいって言われねえか?」
「いえ、歳も若いですから」
「嘘つけ」
「若いですよ、学さんよりは」
「こいつう」
 千秋はとにかくご機嫌であった。学も愉快であった。が、千秋ほど元気にはなれなかった。
彼女がここまで嬉しそうにしている姿を学が見るのは初めてである。ただ、はしゃげばはし
ゃぐほど、貴子との思い出が頭をよぎるのである。やっぱり自分は弱い男なのだろうか。学
はそう思った。そもそも学がこの場所を訪れたのは時間調整のためではない。新たな思い出
で、過去のそれを塗りつぶしたかったからなのである。

 昼食後、少々のんびりし過ぎたようだ。昼の練習には若干遅刻し、既にオネゲルの冒頭の
低弦の音がホ−ルに響き始めていた。
「ま、俺の出番までまだ時間はある」
「私も」
「オネゲルで良かったね」
「うん」
低弦のピッツィカートは、外の天候とは余りにミスマッチであった。


 その夜、練習後のホールに酒やつまみが持ち込まれ、宴会が開かれた。学は風呂から上が
ると、上機嫌でホールへ入った。
 最初は入り口近くに座っていた千秋の隣に腰を下ろし、ビールを一杯のんで落ちついたと
ころで場所を移動した。やがて金管楽器の人間が宴会場の一角に集結し、独自の世界を築き
始めた。残された千秋は、隣に来た獏と2人で話していた。学は気づいてはいたものの特に
気に留めることも無く、金管奏者達の馬鹿騒ぎに参加していた。
 しかし、である。やがて、獏の顔が真面目になったと思いきや、千秋がそれまで口の辺り
に持ってきていたハンカチを目頭に当て、しくしくと泣き始めた。周りの人間は、誰も気が
ついてはいない。一体どういう事を千秋に言ったのだろう。学も、たまたまそちらの方を見
たから分かったようなものだ。馬鹿騒ぎに参加しつつも、不可解な気分が拭えなかった。
 やがて騒ぎも一段落した。学は先ほどの話の内容を問いただそうとしたところ、既に当の
千秋の姿は無かった。
 冷酒を飲んでいる獏に、学が近づいた。
「おい獏、千秋は?」
「風呂に入って寝るってさ」
「さっき、どうしたんだ?」
「え、何が?」
「何がじゃねえよ、千秋だよ」
「ああ、あいつがどうした?」
「あいつに何を言ったんだよ」
「別に、普通の世間話さ」
「嘘つけ、泣いてたのは何なんだよ」
「勝手に泣き出しただけだよ」
「だから何を言ったんだよ」
「何でお前に関係あるんだよ」
「いいじゃねえかよ」
「聞きたいか」
「おう、聞きてえよ」
「ふふん・・・・『学はお前にゃ勿体ない』って言ったら泣きだしたのさ」
「どう言うことだ?」
「つまり、千秋とお前は全然合わねえ、貴子の方が似合ってるって事さ」
「えっ?」学は、獏が全てお見通しであることにこの時初めて気がついた。
「獏、おまえ・・・・」
「ほう、違うのか?俺は貴子はいい女だと思うぜ。千秋なんて、あんな乳臭い単細胞のどこ
 がいいんだよ」
「千秋の悪口を言うのはよせ!」
「ふん、どうしたんだ、何でそんなにむきになるんだ?え、まさか、心変わりして、今は千
 秋ちゃんにぞっこん、ということはないだろうな。あんなに綺麗な笛吹きをみすみす手放
 した、なんて、まさかないだろうね、一途な学君」
「ちょっと来い!」
学は獏の手を引っ張り、ホールの外の駐車場に出る。
「いい加減にしろ!」
学と獏は、お互い目一杯の力を込めて殴り合った。異変に気づいた遠藤が止めに入ったが、
暫くは収拾がつかなかった。


 そのころ貴子は、学校の音楽室でプーランクの「フルート・ソナタ」を吹いていた。宿直
である吉田に付き合って、差し入れを持って夜学校を訪れたのであった。
 とにかく、貴子は一切の雑念を振り払い、無心に演奏した。その集中力が激しい抑揚とな
る。
(おいおい、今のフルートの入りはpp(ピアニッシモ)だぞ)
そうは思ったが、その思い切った表現が、却って吉田の音楽の表現欲を覚醒させる。
 曲は結尾部へ入り、吉田がA−dur(イ長調)の主和音を鳴らす。そして貴子は最後の
Cis(嬰ハ音)を吹き切る。心地よい静寂が延々と続く。
やがて吉田が、ふっ、と笑った。貴子も、最高の笑顔で応える。
「ブラヴォ−」
「最高ね」
再び静寂が訪れた。吉田の手は、貴子の背中から肩へ。静かに貴子の腕の上を滑る。
「君に出会えて幸せだ」
やがて貴子のフルートを持つ手を静かに促し、楽器を受け取ると、そのまま教卓の上に置い
た。貴子自身、徐々に体の力が抜けていくのを実感していた。
「・・・・私も」
もはや、妨げるものは何も無かった。求め合い、抱き合った二人は、当然の成り行きとして、
そのまま接吻した。そして、吉田は貴子の耳元で囁いた。
「・・・・結婚しよう」
「・・・・うん」貴子は頷いた。


 千秋は風呂から上がったが、もう宴会場へ戻る気は無かった。自分の部屋に戻る途中、遠
くから声が聞こえてきたが、正直云って、それすらも聞きたくなかった。とにかく、早く布
団に入って眼を閉じていたかった。
 しかし、何だか様子がおかしい。その、聞こえてくる声が少々変だ。
 千秋が声の出所を頼りに駐車場までたどり着いた頃には、喧嘩そのものはおさまっており、
2人は引き離されて地面に座り込んでいた。遠藤が、自分のワゴンのトランクルームからフ
ァーストエイドセットを捜しているようだ。
 学の眼の下にはアザができていた。
 一方、獏は唇を切り、血を流していた。
 千秋は一瞬立ちすくみ、学と獏のどちらへ行っていいのか迷った。迷った末、獏の口元に
自分のハンカチを当てようとした。獏は言った。
「・・・・俺はいいよ。学の世話をしてやれよ」
「でも・・・・」
「いいから」獏はゆっくり立ち上がると、建物の中へ入っていった。
 残った千秋は、持っていたタオルで静かに学の顔をふいた。
「一体、どうしたんですか?」
「いや・・・・何でもないさ」
「でも獏さんも、ああいう言い方しなくてもいいっすよね」
遠藤が口を挟んだ。そして彼はワゴンの方へ誘導しようとした。
学はそれを無視するようにして、静かに立ち上がって、隣に駐車している自分の車へ歩いて
行き、鍵を開けて運転席に腰を下ろした。千秋も、その隣の席に座った。
「・・・・いや、やっぱり俺が悪いのかな」
「何で?」
「・・・・・・・」
「・・・・仲直りしてよ・・・・」
「喧嘩じゃないさ」
「本当に?」
「本当さ。本当に何でもないんだ」
「・・・・ならいいんだけどさ。うん。だったらさあ・・・」
千秋が、後部座席にあった花火の袋を取り上げた。
「ね、花火やらない?」
「・・・・そんな物いつの間に買ったんだよ」
「家にあったの。何となく持ってきちゃった」
「おい、今何月だと思ってんだよ」
「いいじゃないすか。やりましょうよ、花火」横の車から遠藤が叫んだ。その声を聞きつけ
た他の団員も集まってきた。
「そ、パーッとやろうよ。すっきりするよ」
「湿気てないかな」
「構まやしねーよ」
たちまち合宿所の裏の空き地が、季節はずれの花火大会の場所と化した。
 打ち上げ花火に火が付く度に、辺りは真昼のようになる。そのたびに、千秋の最高の笑顔
が光に照らしだされる。学は、花火が七色の炎を吹く度に、今頃貴子はどうしているのか、
ふと思ってしまった。
 そして、全ての花火が燃え尽きた頃には、学の心の中は綺麗さっぱりと浄化されていた。
 獏も、そして実は千秋も、同様に綺麗さっぱりとなっていた。

 


 

 時は過ぎ、冬となった。
 いよいよ合唱団の演奏会当日。第1、第2ステージはオーケストラの出番はない。
オーケストラの女性控室からは、貴子と思しきフルートの基礎練習の音が聞こえてくる。そ
の音を聞くともなく聞かぬともなく、楽屋前の喫煙ロビーでは学と獏が談笑していた。
 フルートの音は、一通りの音階練習を経て、やがて、曲らしいものに変わった。
「学、あれひょっとしてブラ1?」
「じゃねーか」
「あ、ごめん」
「いや、いいけどさ」
 やがてフルートの音は、4楽章のソロをさらい始めた。

《ミーー、レドー、ソー・・・・》

旋律自体がそういった性格を持っているのであろうが、余りに説得力のある貴子のフル−ト
の音に、学と獏は思わず話を止めて聞き入ってしまった。
貴子は納得がいかないのか、もう一度吹きはじめた。

《ミーー、レドー、ソー・・・・》

今度はそれに応えて、

《ミー、ドー、ソ・・・・》

それはトランペットの旋律だぞ。学は音のした方向を見た。バイオリンを構えている千秋が、
にこっと笑った。
 その直後、第2ステ−ジを終えた合唱団員が引き揚げてきて辺りは慌ただしくなり、オー
ケストラの面子も皆オネゲルのためのスタンバイを始めた。
学も、《ドー、ミー、ソー、ソー、ソー、ソー、ソー、ラー、ソー》と、自分が30分後に
吹くべきソロの音を軽く鳴らすと、ステージ向かって下手の袖に向かった。
そして、袖で調弦している千秋に近づき、小声で言った。
「千秋、レセプション終わったら2人で祝杯あげようか」
千秋は頷いた。
「うん!」        


(to be continued....)


もとい