連続オンラインドラマ

それぞれの『ハーモニー』       By 狂箪笥(^^)



第5話「パントマイム」


 週末。千秋は次回の演奏会の練習に向けて、パ−ト譜を製本していた。
「すごい量・・・・それに、難しそう」
頬杖をついて、思わずため息をつく。そして、一計を案じた。
「よし、決めた。全部、一番下だけさらおうっと。『表』は私は知りません。えーっと・・」
製本したての第1バイオリンの譜面を繰り、2段以上に分かれている部分のいちばん下のパ
ートにマーカーで色を付け始めた時、電話のベルが鳴った。獏からであった。
「ボーイング固まったよ。今、君の家のすぐ近くまで来ているんだ。出てこないか」
「えっ、この間頂いたのと違うんですか?」
「うん、ちょっと変更があるんだ」

 駅の商店街の中にあるコーヒー専門店にて。獏と千秋は、譜面を挟んで向かい合っていた。
時折弓を動かすジェスチュアをする彼らは、静かな店内には少々違和感があった。
「うんと、ここでダウン−アップ−ダウンが全部ダウンで、ここは弓順でいいんだ・・・・
 よっ、よっ、よっ・・・・あ、嬉しい、この方がやりやすい!よかった」
「だろ。たまには指揮者も粋な計らいをしてくれるぜ」
「あの、ひょっとして、バイオリンパート全員の家を回ってるんですか?」
「いやあ、まさか。千秋ちゃんの家の近くを通っただけだよ。あとは郵送さ」
「でもどうして、今日はどうしてここまで来たんですか?」
「うん、練習。今度『ペトルーシュカ』の一発オケがあってさ、出るんだ。でもね、こうい
 う変な時間帯にしか練習がなくてさ、ちょうど暇だったから」
「わあ、すてき。ペトルーシュカ大好き」
「来年の1月15日に、東京芸術劇場。どう?チケットあげようか?」
「はい!お願いします!絶対行きます!」
「今度会ったときに渡すよ。来週チケット貰うんだ」
獏は内心、狂喜乱舞であった。


 その翌週の月曜日の夕方。上司の連絡ミスにより納期遅れが発生し、学は取引先へ謝罪し
に行くはめになった。幸い対応が早かったおかげでその場は何とか丸く収まり、学は取引先
のビルを出ると額の冷や汗をハンカチで拭った。会社へ報告の電話を入れながら、ふと駅前
の地図に目をやった。ここは貴子の勤めている高校と300メートルも離れていない。
 貴子と食事をするのも良いかも知れない。ちょっと顔を出して驚かしてやるか。学はそう
思い、上司へは直帰する旨告げた後、高校へ向かった。
 貴子は、体調を崩して休みとのこと。応対した英語教師東郷の、
「いやあ、金井先生はもてますなあ」
という言葉が気にはなったが、まあ学校の中での話だし、とくに問題はないだろう。職員室
を出て玄関へ戻る途中、洗面所へ寄った。壁に大きく、
「吉田先生/金井先生」
の相合い傘が書いてあった。おっと、「もてる」ってこの事か。この程度ならいいんじゃな
いのと思いつつ階段を下りると、踊り場に、
「清・命 貴子」
とある。はいはい。玄関にある掲示板を見ると、写真が3枚無造作に貼ってあった。?。よ
くよく見ると、夜の教室でピアノの前でデュエットしている吉田と貴子である。次はご両人
がレストランで会食しているところをガラス越しに。そして最後は、この2人がホテルに入
っていくところであった。


 遠藤の店にて。獏が独りで、カウンターで煙草を吸っている。
「すいませーん、お待たせしました!」
千秋が駆け込んでくると、ペコリと頭を下げた。2人揃ったところで、遠藤が注文を促した。
「ビールを・・」
「あ、私、ウーロン茶」
獏は千秋の言葉をさえぎるように言った。
「最初の1杯くらい、ビール飲めば」
「いえ、でも私、本当にお酒弱いんです」
「いいじゃん、一口だけ、な」
「じゃあ、私も・・・・ビール」
飲み物が届いて乾杯したのち、獏が楽器ケースから封筒を取り出す。
「じゃこれ、約束していたチケット」
「わあ、本当に頂いちゃっていいんですか?」
「いいよ、どうせ皆にもただで配っているんだ」
「ありがとうございます!さあ、誰と行こうかな」
「誰と来るんだよ、オトコか?」
「うーん、誰にしようかな・・・・秘密」
「おーおー、教えてくれたっていいじゃねえかよ、さあ誰だ?」
「へへへ・・・・」
「青木か?」
「・・・・わかりますか?」
千秋は急に真顔になり、眼をぱちくりさせた。ただ単にかまをかけただけの獏は、予想外の
展開に少々戸惑った。
「えっ・・・・だって、あいつはちゃんとした彼女が居るぜ」
「・・・・ええ、知ってます」
「じゃあ何で誘うんだ?行くんだったら2人で行くはずだぜ」
「たぶんそうだと思うんですけど・・・・だめもとで、誘ってみたいんです。たぶん、何だ
 こいつって目で見られて、それで終わりでしょうね」
「おいおい、何言いだすんだよ」
「青木さんに付き合っている人がいることぐらい、いくら鈍感な私だって、ちょっと関心が
 あればすぐわかります。それに、こうする事が、金井さんに対して申し訳の立たないこと
 だってことも十分わかってます。でも、それが私の正直な気持ちなんです。本当は、全て
 を心の奥にしまって、扉を閉めて鍵をかけて、一生そのままにしておくのが普通の人なの
 かも知れない。でも、それじゃあ自分に嘘をついていることになりません?」
「・・・・・どうだかなあ」
「自分の気持ちに素直になって、今の自分をそっくりそのまま受け入れて、それで、現実を
 あるがままに受け止めたいんです。たかが演奏会のチケットで、と思ったかもしれません
 けど・・・」
「そんなに奴が好きなのか」
千秋は下を向き、小さく頷いた。
「そうか。まあ、頑張れ。現実は厳しいけど、その気持ちは買った」
「・・・・・・」
反応が返ってこないので、獏は千秋の方を見た。泣いていた。

 千秋をタクシーに乗せた後、獏一人がカウンターに戻った。遠藤が、千秋の飲んだグラス
を片付けている。
「先輩、彼女、本気で青木さんに惚れてます。先輩が割り込む余地なんてないんじゃないす
 か、マジで」
「でも知らなかったな、学の野郎に・・・・。千秋の考えていることは俺にはわからん」
「やっぱ青木さんに、それとなく伝えた方が」
「馬鹿言うんじゃない!」
「・・・・まあ、私が口を挟むことじゃないですけどね」
とは言ってみたものの、遠藤は内心、獏と学の間が気まずくなることを心配していた。


 次回演奏会に向けての練習が始まった。
 合唱団からの依頼演奏曲は、貴子の期待通り、オネゲルの「クリスマス・カンタータ」に
決まった。理由は別に何ということはなく、ティンパニ奏者堀内が、当日に仕事が入って都
合がつかなくなったため、候補曲のなかで唯一打楽器を使わないオネゲルになった次第であ
る。
 よく言えば「意欲的」なプログラムを好む当フロイデ・フィルでも、これはなかなか反響
を呼んだ。勿論、この曲をまともに聴いたことのある人はほとんど居ない。初練習の日の楽
団員、とりわけ弦楽器セクションでは、皆言いたい放題であった。
「ブラームスでしょ、リヒャルトでしょ、ドビュッシーでしょ、でオネゲル・・・・?さら
 える筈無いじゃない!」
「好きねえ、現代音楽」
「所詮はインペクのエゴだよな」
「いいやね、いつも管楽器の好きな曲ばっか。どうせ俺たち、『その他大勢』さ」
「勝手にやれば?私は出ないよ」等々。
 インスペクターという立場上、この状況は何とかして収拾をつけなければならない。ブラ
ームスの初練習後、学は急遽全パートのトップを集め、口火を切った。
「合唱曲の件ですが、この曲聴いたことのある人は?」
獏、遠藤と貴子だけが挙手。
「今、この曲を巡っていろいろな話が飛び交っていますよね。どれもこれも、皆先入観だけ
 で曲の中身を判断してしまっているんです。トップの皆さんは、そこで終わって欲しくな
 いんです。だから、今手を挙げなかった人の中で、もし都合のつく人は、今日このあと私
 の家に来て、一度でいいから曲を聴いてみてください。一度聴けば、きっとこの曲の良さ
 がわかります。皆さん、どうでしょうか?」
皆は黙って頷き、学の提案に従った。


 そして学のマンションにて。パートトップの約半数が来て「レコードコンサート」と相な
った。缶ビール片手に、車座になった面々の耳に、CDの音が聞こえ始める。
冒頭のオルガンの呻くような低音。
「・・・・何これ、変」
歌詞の無い合唱が徐々に入ってくる。
「これ本当にクリスマスカンタータ?」
曲が最高潮に達する。不協和音の連続。
「わあ、現代音楽」
ここで急速に曲が静まり、突如として現れる天使の声。そしてこの辺りから、皆は喋るのを
やめた。
 約20分後、冒頭と同じようなオルガンの低音で静かに曲が終わった。一同、しばし沈黙。
静寂。学が口を開く。
「・・・・以上。どう?」
パートトップの一人が、感想を言いはじめた。
「うーん、やっぱり現代音楽だな。これだけ音がぶつかっていて、果たしてうちのオケで曲
 になるかなあ」
「そうねえ」
「・・・・」
再び沈黙。ここでベースのトップである高林が口を開く。
「・・・・いい曲じゃん。やってみようよ」
「後半がかわいいよね」
「うん、なんだか好きになれそう!」
「第9よりずっとすてき!」
明らかに風向きは変わった。学は、ほっ、と胸をなでおろした。

 皆が帰り、学と貴子だけが部屋に残った。貴子が水割りを作り、改めて2人で乾杯。
「よかったね、皆いい曲だって言ってくれて」
「うん・・・・」
「あのラッパのソロ、学が吹くんでしょ?かっこいいよねあれ」
「うん・・・・」
「何よ、どうしたの?」
「・・・・ああ?いや、何でもないさ」
「何よお、言ってよ」
「うん、・・・・・」
「・・・・何?」
「終わりにしようよ」
「・・・・?」
「俺たち、終わりにしようよ」
「・・・・どういうこと?」
「最近、会う回数が減っているよね」
「そうね、学も忙しいしね」
「君はどうなんだ?」
「私は・・・・いつも、待ってるわ」
「嘘をつけ!」
「嘘じゃないわ」
「・・・・俺、最近何だか人が信じられないんだ。杞憂だって分かっているんだけどさ、や
 っぱり信じられない」
「何で?」
「何でだろうね。自分でも分からない。でも、やっぱりだめだ。自分が今まで信頼し続けて
 きた人に、次々と裏切られてきているんだ。会社でも、プライベートでも・・・・。君だ
 って例外じゃない。結局、俺じゃ満足いかないのかな。いろいろな話が聞こえてくるんだ」
「単なる噂じゃない、それに、一体誰との噂よ!獏君?それとも?」
「学校で何か、噂になっていないか」
「・・・・・・」
「体の調子はその後どうなんだ?」
「え?何で?」
「この間、学校へ行ったんだ。驚かせてやろうと思ってさ。そうしたら、体調を崩して休ん
 でいたから」
「ああ、月曜日。確かにおなかの調子が悪かったの。でもどうして?」
「見てはいけないものを、見てしまったんだ」
「それって、何・・・?」
「玄関の掲示板の、写真3枚」
「・・・・何それ・・・・どうして・・・・」
「・・・・そうなんだね」
「・・・・・・」
「やっぱり・・・・」
「・・・・信じられないのは私の方よ・・・・」
「・・・・・・・」
オルガンのペダル・トーンより重い沈黙が30分以上は続いた。
すっかり疲れきった貴子は、楽器とポシェットを手にした。
「・・・・とりあえず、今日は帰る」
「ああ、気をつけてな」
「・・・・送って。もう電車無いわ」
「酔いが醒めなくてさ」
聞くや否や、貴子は学の胸にすがった。
「お願い、信じて!私だけは信じて!」
結局、無言のまま夜は明けた。貴子は独りで、学のマンションを後にした。


(to be continued....)


もとい