連続オンラインドラマ

それぞれの『ハーモニー』       By 狂箪笥(^^)


第4話「浮気心」


 フロイデ・フィルハーモニー管弦楽団による「幻想交響曲」の演奏会は、大成功のうちに
終わった。
 学も、今日は準備のための雑用や段取りに奔走していて何時にも増して忙しかったが、と
りあえずは無事に終わって一応ほっとしたところであった。ただ、貴子あてに花束を持って
楽屋口を訪れ、話し込んでいる男の存在が何となく気になって仕方がなかった。
そんな学のところへ、突如として楽屋口に思いがけない女性(ひと)が訪ねてきた。学の
会社の新入社員、山田このみである。
「青木先輩、お疲れさまでした!」
「あれっ、山田ちゃん何でこんな所にいるの?」
このみは学の言葉など全く聞かずに続けた。
「先輩のラッパソロ素敵でした!もうすっかり感動しちゃって、今日はもう最高です!」
「君にチケットあげたっけ?なんでこの演奏会を知ったの?」
「何いってんですか、私、先輩のファンなんです!」
「おいおい、何だよそれは」
「て言うか、チェロの遠藤先輩からチケット貰ったんです。高校のブラスで一緒だったんで
 す。遠藤先輩、そのころトロンボーン吹いてたんですよ」
「何が『て言うか』だよ、全然話が違うじゃないか。でもなるほど、そうだったんだ。で山
 田ちゃんは何やってたの?」
「クラリネットです!『ダンシング・キッズ』で、私ソロ吹いた事あるんです。何てったっ
 て、スタンドプレーですよ」
「へえ、大したもんだ。それにしても、職場に楽器吹いてる人が居るなんて知らなかったな。
 これからも宜しくね」
「はい、お願いします!今度は私の本番も聴きに来てください!」
 千秋が慌ただしく現れ、この2人を横目に見ながら通りすぎていった。ここでチェロのハ
ードケースを抱えた遠藤が現れた。当然、このみの意識は今度は遠藤に向かった。そして彼
女の、
「キャー、遠藤せんぱーい!」
の台詞をもって学は解放された。


 貴子と「男」との話はまだ終わらない。学は、別にあの男と貴子との間には何もない、本
当に何もないんだと自分に言い聞かせていた。しばらくして「男」が帰った。学は、花束の
詰まった紙袋を持ってレセプション会場へ向かいかけた貴子を呼び止めた。
「貴子」
「何?」
「3楽章のフルートのソロ・・・・最高だったよ」
「何よ、急に」
「褒めたかったからさ」
貴子は、ふっ、と微笑んだ。
「そう、ありがとう」
そしてそこで会話は途切れ、2人はレセプション会場へ向かって再び歩き始めた。

 レセプション会場ではお決まりの「式次第」は順調に進行していた。
 さてここで、恒例の次回演奏会プログラムの発表である。インペクの学は、おもむろにマ
イクの前に立ち、一瞬の沈黙を弄んだのち、言葉を発した。
「次回演奏会のプログラムを発表します。前プロはリヒャルト・シュトラウスの『ティル・
 オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、中プロはドビュッシーの『小組曲』、そして
メインはブラームスの1番、以上のように決定しました」
 どこのオケにも必ずといってよいほど居る一部のブラームス・フリークが嬉しそうに拍手
をした。しかし、学の話はそこで終わらなかった。
「なお次回の演奏会とは別に、12月には合唱団の依頼演奏があります。曲目は現在、合唱
 団と調整中で、決まり次第お知らせします」
会場内がにわかにざわつき始めた。
「えー合唱の伴奏、やだあ」
「いいじゃん、やりたいなあ」
「でもさ、12月だったらたぶん第9だよ。合唱付きの曲なんてめった出来ないから、いい
機会だとおもうけどさ」
「それって何か、ありふれてない?モツレク(モーツァルトのレクイエム)やろうよ」
「わりい、あれホルン無いんだ」


「さあ、練習しよ・・・・あれ?」
 貴子が夜の職員室で、いつものように楽器を出して音楽室の鍵を取ろうとした。が、それ
が本来あるべき位置に掛かっていない。不審に思った貴子は、恐る恐る音楽室へ向かった。
階段の踊り場辺りで、ピアノの感傷的な音律が聞こえてきた。あっ、この曲は・・・・そう、
この曲はショパンの「幻想ポロネーズ」。もしかして・・・・
「吉田先生?」
ドアの外から思い切って呼んでみたが、返事はなし。貴子は期待感が高まるのを抑えつつ静
かにドアを開け、音楽室に入った。ピアノを弾いているのはやはり吉田であった。が、振り
向きもしない。それからおよそ10分、貴子は吉田の後ろ姿をじっと見つめ続け、ピアノの
音だけが音楽室に響き続ける。
『幻想ポロネーズ』最後の変イ長調の和音が響き、減衰していった。貴子が拍手をしたとこ
ろで、吉田がやっと振り向いた。
「あ、金井先生」
「やっぱりお上手ですのね」
「いやあ、下手になりましたよ」
「そんなことないですよ」
「金井先生、これから練習ですか」
「ええ、社会人になると衰えますよね」
貴子はそう言うと、楽器を組み立てた。吉田は、今まで弾いていた譜面を片付け、ピアノの
蓋を閉めようとした。すると、貴子は1冊の譜面を取り出すと、ピアノの上に置いた。
「吉田先生、よろしかったら・・・・」
「何ですか?」
吉田は手に取ると、表紙をめくった。
「これは?」
「プーランクのフルート・ソナタです。この曲の伴奏、いえ、ピアノパートを是非吉田先生
 にやって頂きたいんです。実は、自分にぴったりの、素敵なピアニストを探していたんで
 す。吉田先生は、プーランクはお好きですか?」
「ええ、好きです。特にこのフルート・ソナタは、結構好きなんです。いつか素晴らしいフ
 ルート奏者と出会った時に是非合わせようと思って、密かに譜面を買って練習していたん
 です。そして今が、まさにその時なんです」
「あらお上手ね」
「じゃあ、今やってみましょう!」
「ええ!ふふ、でも長いことこの曲さらってないからなあ、上手くいくかしら」
ショパンに続き、今度はプーランクの旋律が音楽室に響き始めた。

 


   

 学が得意先回りを終えて帰社し、日報を作成している。このみがお茶を入れてくれた。お
茶を入れたのはよかったのだが、学が「ありがとう」という間もなくこのみは小走りに自分
の席に戻った。やれ嫌われたかな、と学は思ったが、特にそれ以上は気にせず、日報の方に
意識を戻した。
 書類を持って、コピー機の前を行ったり来たりしているこのみの姿が目に入る。やはり甲
斐甲斐しく働いている女の子の姿は、皆可愛いものである。
「それにしても、あの子がクラ吹きとはね・・・・」学が思った瞬間、このみと目が合って
しまった。学は慌てて視線を外した。
 日報が出来上がって一息つき、さて提案書を作るか、とワープロを取り出した時、学は初
めて気が付いた。このみと学の席はフロアの対角線の長さぐらい離れているが、そのはるか
彼方に離れた席からこのみがじっと見つめていたのである。試しにワープロを打ち間違えた
ふりをして、一寸と顔をしかめてみた。このみは席の向こうでクスッと笑った。
 やれやれ、と思い、貴子のPHS番号にいつもの店での待ち合わせ時間を入れた。数分後
学の携帯が鳴り、同じ待ち合わせ時間がメッセージ表示された。

 その夜、いつもの店で待ち合わせた学と貴子。
「合唱曲さあ、何が挙がっているの?第9?」
「いや、第9は去年やったから勘弁してくれってさ」
「ふーん。じゃあミサ曲?」
「そんなところかな。うーん、モーツァルトの戴冠ミサだろ、フォーレク(フォーレのレク
 イエム)だろ、デュリュフレのレクイエム、あとはオネゲルの『クリスマス・カンタータ』
 ・・・・って、俺知らねえんだよ」
「あら、いいじゃない。綺麗な曲よ」
「CD持ってる?」
「うん、アンセルメのでいい?来週持ってくるわ」
「ありがとう」
「私、その中だったらオネゲルがやりたいなあ」
「そんなにフルートおいしかったっけ?」
「そういう問題じゃなくてさ、曲の話よ。賛美歌だって出てくるし、12月に『♪きーよし
 ー・・』で1年の演奏会を締めくくるなんてお洒落じゃない。ね、ね」
貴子は甘えるように学の腕に自分の両腕を絡めた。
「うーん、そうか、なるほどね」
しかし、学の胸中には既に疑惑が芽生えている。だから、却って、気持ちを学に集中させて
明るく振る舞っている貴子のことが妙に受け入れられない。何となく会話が上手く運ばず、
やがて話が途切れた。1分ぐらい経ってから、学が口を開いた。
「今度の日曜日、久々にオフでしょ。予定空いてない?」
貴子は手帳を開いた。
「えーっと・・・・うん、大丈夫。どうする?」
「ドライブでも行かないか」
「うん、どこ行こうか?」
「そうだね、金沢八景のシーパラダイスなんか」
「わあ!あそこまだ行った事ないんだ、行こ行こ」
「でね、メンツは獏とね、あとは・・・・」
「あ、そう・・・・」
「ごめんよ、今回は何となくみんなで行きたいから」
「ううん、私もその方がいいの」
「えっ?」
「・・・・何でもない」                            


 獏と学が、行きつけの遠藤の店でビールを飲んでいる。
「獏、お前はいいだろ、今度のオフの日」
「うん、一応空いてるけど」
「行くぞ、シーパラダイス」
「おう、メンツは?」
「あとは貴子かな」
「じゃあ俺は邪魔なんじゃないか?」
「いいんだよ」
「聞くだけやぼだったかな」
 大分ビールの本数が進む。学は鞄の中から仕事用の携帯電話を取り出すと、言った。
「獏、この際、誰か誘っちゃえ!ここで男になれ!」
「誰にする?お前が決めたっていいぞ」
「ほら行け!誰だ、千秋か?」
「いやあ、あの子はやっぱり・・・・ねえ」
「どうした、何を怯んでるんだよ?」
「だって、彼女はこういうノリにはついて来ないよ」
「そんなもんやってみなければ分からねえよ、ほら、かけるぞ」
冗談で携帯電話の緑色のボタンに学が手をやると、獏は真剣な表情で制止した。
「いや、俺がかける」
それまで泥酔していた学は、そこで我に返った。
「獏、やっぱ今日はよせよ、もう12時だぜ」
「構まやしねえよ、ほら、電話番号だって教えてもらっている」
「当たりめーだよ、同じパートだろーが」
「よーし、千秋、今行くぞ!」獏は夢中でダイヤルした。
加速度がつき始めた獏を、学はもはや止めなかった。否、止められなかった。

 かくして千秋の家の電話が鳴った。風呂から上がり、寝支度を整えてたところだった。
「もしもし」
「おーい、俺だ、俺」
「え・・・誰?」
「俺だよ、忘れたのか」
「えっ・・・・青木さん?」
意外なリアクションに獏は驚き、怪訝な顔をして受話器を学に渡した。
「おい、何でだよ?お前だってよ」
学がすかさず合いの手を入れた。
「はい、そうなんです、青木です」
千秋はますます訳がわからなくなった。
「えっ・・・・本当に青木さん・・・・ですか?」
「俺で悪かったな、境川だよ」獏が受話器を取り返して叫ぶ。
その後はずっと獏が千秋と、他愛ない世間話で引っ張った。その間約10分、ドライブには
かなり執拗に誘ったが、結局は単なるいたずら電話で終わってしまった。


 翌日の夜。学は残業の帰り、コンビニでビールを買って帰宅したところ、留守番電話にメ
ッセージが入っていた。
「もしもし、今晩は、バイオリンの八木ですけど、えっと明日のドライブ、もし空きがあっ
 たら、あのー、私もお仲間に加えて頂きたいのですが・・・・えっと、今日はお電話があ
 るまでずっと起きてますので、・・・・お電話下さい、待ってます」
ずっと起きてますので、というフレーズに微笑んだ学は、すぐ千秋の家に電話をかけた。

 そして当日。ドライブの待ち合わせ場所の店に集合したのは、学、獏、千秋、貴子の4人。
この日1日、皆は学生時代に戻ったかのように、ひたすら陽気にはしゃいだ。それはどこと
なく、お互いが暗くならないよう気を遣い合っているようでもあった。もしくは、鬱な自分
自身との葛藤なのか。
 夕陽も大分傾いてきた。展望台から、水平線へ落ちる夕陽を見つめる4人。
 四者四様に、それぞれの思いを胸に抱きながら。


(to be continued....)



もとい