連続オンラインドラマ

それぞれの『ハーモニー』       By 狂箪笥(^^)



第3話「ジュ・トゥ・ヴ」



 不本意にも、千秋は中原主任とホテルで一夜を過ごす以外に方法がなかった。
「君との夜に乾杯」
 ガウン姿の中原主任は、グラスに注いだビールを一気に飲み干した。
 千秋は、体を許す気にはどうしてもなれなかった。生理的に受け付けない、といった方が
適切かも知れない。が、さりとて、この場から逃げだす勇気もないし、そんなことをしよう
ものなら翌日会社で何をされるかわからない。
「さて」
中原主任は、シャワーを浴びに行った。
 一人残った千秋は、心地よいヴォリュームでラップ音楽が流れている部屋の中を見回した。
そして、頭の中でひらめいたことがあった。
 やがて中原主任がバスルームから出てきて、ベッドにぽつんと座っている千秋に近寄って
きた。何やら囁いてきたが、声のトーンが低くて聞き取れない。だんだんと「それっぽい」
雰囲気になってきた。中原主任の手が千秋のブラウスのボタンを外しかけた。そして千秋は、
今気がついたかのように有線放送のタッチパネルへ手を伸ばした。
「音楽、変えましょうか」
変えたチャンネルは勿論クラシック放送。BGMは、ラップ転じてベートーヴェン。中原主
任の「元気」がみるみる減衰、千秋はとりあえず難を逃れた。


 その週の土曜日。学のマンションの部屋には獏の他、遠藤、深川の計4人が集結した。か
つての学と獏の大学オーケストラ時代の同期であり、久しく大阪に勤務していた深川孝司が
東京に戻ってきたので、彼の歓迎会をしているのであった。もっとも「歓迎会」とは銘打っ
ているものの、ただ単に酒を飲みながらTVの音楽番組を見ているだけなのだが。「よう青
木、金井とは最近うまくいってるのか?」
「ああ、普通だね、特にどうということはないよ」
「深川、お前今度の『幻想』出ねーか?」
「出たいのは山々だけどさ、どれだけさらえるかなあ」
「やったことあるだろ」
「うん、セカンドだけど」
「今バイオリン足りねえんだよ。な、頼む。かわいい子いるぜ」
「獏、誰のことだよ」学が口を挟んだ。
「いいじゃん」
深川は、一寸と間を置いてから言った。
「うーん、でもやっぱりなあ。俺はさ、どっちかっつーと一つのオケに集中できない性質
(たち)なんだ。こらえ性が無いのかな」
 獏は深川と共演できないことに失望し、がっかりした表情で、グラスに残ったウィスキー
を一気に飲んだ。それにしても、弦楽器奏者の気質って、そんなものなのだろうか。学はそ
う思った。


 殆ど毎日、皆が帰ったあとにフルートを練習するという貴子の習慣を知った同僚の吉田は、
ある日、タイミングを合わせて彼女を食事に誘った。
「先日は、本当に、奇遇でしたね。驚きました。金井先生、フルートをなさるんですね。さ
らっているのがよく聞こえてきましたよ」
「あらお恥ずかしい。誰も居ないと思ったから・・・・。でも吉田先生、先生も何か楽器を
なさるんですか?」
「ええ。よくおわかりですね。どうして?」
「いえ、『さらって』っておっしゃったから」
「ああ、そうですよね。これって業界用語なんですかね」
「何の楽器をなさってるんですか?」
「ええ、ピアノを少し。最も音大には行きませんでしたけど」
 実は、吉田は幼少から音楽大学を受けるつもりでピアノのレッスンを受けていた。しかし
高校1年のときバスケットボールで肘を傷め、涙をのんで普通の人になったという経緯があ
った。だから、そこいらの音大出の教師には腕は負けない自信はある。
 吉田は、言葉を続けた。
「金井先生は、ピアノもお上手なのに、フルートもまたお上手で。本当、久しぶりに感動し
ましたよ」
「いえ、私のピアノなんて。本当の事を言うと、大学のころは副科だったんであんまり練習
しなかったんです。」
「とおっしゃいますと、音大では何を専攻していたんですか?」
「器楽科です。専攻はフルート」
「ああ、どうりでね。やっぱり専門なんですね。あの遠鳴りする音色は、絶対にアマチュア
じゃ出せませんよ。スコーン!ってね」
「お褒め頂いて、光栄ですわ」
 これまで吉田は貴子のことを、プライドだけ高くて内容の伴っていない、ただの元音大生
としか見ていなかった。実際、事あるたびに校歌の伴奏をする貴子のピアノには、吉田はピ
アニストとしての価値を余り見いだせず、特に感動せずに聴いていた。しかし、今話を聞い
たところでは、ピアノは副科ではないか。これは認識を改めるべきだな、と思わざるを得な
かった。
 一方貴子の方も、今まさに「ピアノ」という新たな共通項が見つかり、吉田への関心の度
合いが一段階進んだところであった。


 千秋と中原主任は、午前中とうとう一言も言葉を交わさなかった。一日中慌ただしいフロ
アではあるが、勘の鋭い人は居るものだ。言い換えれば、そのような輩にとっては、この光
景は却って目立つのである。昼休みを過ぎて、この「沈黙」は他のOL達の共通の話題とな
っていた。
 やがて、中原主任はやおら立ち上がって上着を着た。そして、
「本店に行ってきます」
と小さく告げると、フロアを出た。
 同じくらいの大きさの声で「お願いしまーす」と応えたのは、入口近くに居る2、3人の
OLだけであった。
 ドアが閉まった途端、千秋は思わず、ふうっ、と大きくため息をついた。その時、フロア
中の人が一斉に千秋に注目した。


 遠藤のバイト先の店に、続々とフロイデ・フィルのトップメンバーが集まってくる。人数
が揃ったところで、次回の演奏会に向けての選曲会議が始まった。
「現在のところ上がっている曲は、ブラームス1番、ブルックナー8番、マーラー6番、
『シェエラザード』、バルトークの『オケコン(管弦楽のための協奏曲)』、ショスタコー
 ビチ5番、計6曲になります」
「ブルックナーとマーラーは長すぎない?」
「ブラームスはありふれてるよ」
「シェエラザードのソロは、私には吹けません。ちょっとパスです」
「聞いてねえよ」
「特に考慮するパートはありますか?」
「パーカスは無いに限るね」
「そりゃ困るよ、ローテーションどうすんだよ」
「いや、今回はベルリオーズで散々やったし、特殊楽器のレンタルでお金は無いし、ちょう
 どいい機会なんじゃないかな」
「その点、会計担当どう?」
「・・・・そうですね、ちょっと勘弁してほしいですね」
「じゃあマラ6はボツだな」
「代わりにマラ5は?」
「おんなじだよ」
「なら、ブル8で決まりじゃん。あれ、ティンパニとシンバル1発だけだぜ」
「あれ、2・3楽章にハープがあるよ。それにワグナーテューバ4本も使うでしょ。そのレ
 ンタル代はどうするの?」
「その前にホルン吹きが8人揃うかどうかだね」
「あー、すぐ見つかるよ」
「見つかるはいいけど、練習ちゃんと来る?」
「大丈夫、大丈夫」
「保証は?」
「・・・・」
「バルトークについて意見ない?」
「ホルンはいやです。つまらない」
「おい、理由になってないぞ」
「楽譜は全部調達できるの?楽譜係、大丈夫?」
「候補曲6曲のうち、ブルックナー・マーラー・バルトーク・ショスタコービチは著作権保
 護期間中です。また、楽譜も基本的に全てレンタルになります」
「何だ、結局何やるにしてもお金がかかるわけね」
「提案ですけど、オケを使ったバイトとかないですか?例えば合唱の伴奏とか。ここいらで、
 資金稼ぎしませんか?」
「ああ、第9とかね」
「第9だけじゃなくて、ミサ曲とかも需要ありますよ」
「賛成だけど、いい仕事口見つかるかな?」
「じゃあ、私は指揮者に打診してみます。皆さんも、もしその手の話がありそうなら次回の
選曲会議までに持ち寄って下さい」
「異議なーし!」


 さて、「幻想交響曲」のゲネプロ(最終練習)の日。果たして指が回るのか?心配だった
千秋は、個人練習をするため、いつもより少々早めに練習場に行くことにした。
 練習場に着くと、数人の管楽器奏者が、既に入念なウォーミングアップを始めていた。さ
て私も、と、千秋も練習場の隅で楽器ケースを開け、弓を取り出して松脂を付け始めた。
獏が慌ただしくドアを開けて、千秋の居る方向に向かって真っ直ぐに歩いてきた。そして彼
女の肩に、ぽん、と手をやった。
「トップサイド宜しくね」
つまりは、一番前の席である。眼の前は指揮者なのだ。
「え、急に言われても、私、困ります」
「頼むよ。いいね」
「でも・・・」
ここでチューニングの時間となった。獏は千秋の手をむりやり引っ張り、自分の隣の席に座
らせた。
 指揮者の棒が上がり、降り下ろされるまでの僅かな時間、千秋は眼を閉じて動かなかった。
やがて、冒頭の木管楽器がG(ト音)の3連符を静かに奏し始めると、静かに眼を開け小さ
く頷いて、弓を構えた。
「何とかなるさ・・・・」                   


(to be continued....)



もとい